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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■長いようだが、前に比べりゃあっさりしてます。
再開二日目であるが大した事件はない。
ホントは職場の女の子たちから今度の入院について「頑張って下さいね!」と言われて結構嬉しかったりしたのだが、詳しく書くとまたしげが嫉妬するのでこれ以上は書かない。つか、これ以上も以下もないんだが。この程度のことでまたしげがやきもち焼くようなら、また日記書くのやめればいいのだから、以前より随分気が楽になっているのである。
だいたい、私が浮気できるなんて思ってる(「相手にされる」含む)人間は宇宙広しと言えどもしげただ一人であろう。
ここしばらく、しげの仕事が休みだったので待ち合わせて食事をすることが多かったのだが、今日は夕方からだと言うので、久しぶりに普通にバスと地下鉄を乗り継いで帰る。でもやっぱり車で15分の距離を1時間半かけて帰るのには理不尽な思いがするな。
晩飯はコンビニで買った麻婆豆腐丼。糖尿病者にはまあ適量。でも帰宅してみると、意外なことにしげが昨日のカレーうどんを残していた。なんか悪いものでも食ったのか。
これも捨てるわけにはいかないし、麻婆丼と一緒に食うと確実に血糖値が上がる。間を置いて食うしかないが、そうすると、時間的に12時過ぎまで起きてないといけないのである。全く、後始末のできないやつの頼みなんて、ホイホイ聞くもんじゃないなあ。
ドラマ版『エースをねらえ!』、今日が3回目。原作への思い入れも全くないし、これを見た『エース』ファンがネット上でどんな醜態を晒すか楽しみで見ているだけなので(安岡章太郎流の「陰気な愉しみ」である)、感想はたいしてない。上戸彩は上戸彩で、それだけのことである。
日記を再開したので、グータロウ君から電話がある。
コンテンツの「Mystery映画館」、望外のお褒めを頂く。彼は友人でも不必要なお世辞は絶対に言わないので、誉められると素直に喜べる。いつだったか、押井守氏が何かのインタビューに答えて「見え透いたお世辞でも嬉しいってのはウソですよ」とかいう趣旨のことを言ってたのを読んだことがあるが、『天使のたまご』の大コケで生活苦に陥った押井さんの言だけに含蓄があることである。実際には見え透いたお世辞に有頂天になって夜郎自大に陥っている文化人、芸能人、作家、俳優、いくらでもいるんじゃないか。いいもの作る人々にハイエナが寄ってくるのは世の常ではあるのだが、自分を利することしか考えない人間と、そうでない人間を見分けることは、簡単なことではあるまい。
もちろん、グータロウ君は、批判するときは寸鉄人を刺すがごときなので、私を甘やかすようなことは一切言わない。おかげで私も適当なことが書けないので、原稿をアップするたびに甘いところを突かれやしないかと、ヒヤヒヤものなのである。
「原作と比較できるところがいいね」と言っていただけたのだが、映画に原作があるのにそれに触れない、読んでないというのは、学生の感想文ならともかく、批評としては失格だろう。これは知識の問題ではなく、原作付きの映画の場合、活字と映像の表現の違いをどう認識し分析するかが批評の根底に必然的に生じるからである。
ただのあらすじの紹介や感想なら、これだけネットが広大な現在、誰でも書いているし、読む人にとってはたいした参考にもならない。最低限あの程度のことを書かねば読む人にとっては失礼であると思えばこそ、ないチエをふりしぼっているのである。もっとも、ふりしぼってあの程度であるから、実のところは鼻であしらわれても仕方がない。分析と総合によるその映画の新しい文化史的な位置付けを、とか、映画に普遍的な魅力はありえるのか、とか、思いだけは壮大なものを抱えつつ、そんなところに一歩も踏み出せない自分の愚鈍さに歯噛みする毎日なのである。
昨日の『トリビアの泉』、グータロウ君の家でも絶不評だったとのこと。
作り手がネタを楽しむのではなく、馬鹿にしているのが誰の眼にも明白になってきているので、見ていて痛々しい。ネタが常識以下なのは小学生も見てるんだから文句つける気はないが、演出が相変わらずおたんちんのひょうたくれなのはなんとかならんのか、とか何とか話す。
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01月29日(木)
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