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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「じゃないですか」って言ってる人が多いじゃないですか/映画『用心棒』/『呪恩2』(清水崇・MEIMU)ほか
アキレス腱を切った上司、ご本人は今日から出勤と仰っていたが、やっぱり休み。そりゃ怪我して2週間しか経ってないんだからなあ。代理で仕事をするのは一向に構わないし、完治するまでゆっくり休んで頂きたいとも思うのだが、休んでるほうは出勤するつもりができなくなって、ヤキモキしていることだろう。
こういう気分は、入院経験のある人じゃないとなかなか理解してもらえないのだが、入院が長引くにつれて、自分がどんどん役立たずのゴクツブシの、社会のお零れに預かってかろうじて生かしてもらっている寄生虫のように思われてくるのである。「ゆっくり休んでください」という慰労の言葉すら「お前なんかいらねえよ」と聞こえてしまうのだ。被害妄想だと頭じゃ理解できていても、一度生まれた妄想は止まるものでもない。
これじゃ健康に悪いから、初めから入院しないほうがいい、とも言えるのだが、そうはいかない場合だってある。アキレス腱は自宅療養じゃ治らないものなあ。
責任感のある人ほど、鬱に押しつぶされてしまうものなので、上司の苦悶も想像にあまりあるのだが、やっぱりこちらは「頑張って出て来てください」とは言えずに「ゆっくり休んでください」と言ってしまうのである。
パターンとかセオリーとかに捕われない、心にちゃんと届く言葉を思いつけないものかと思うのだが、そうはなかなかいかないのがなあ。
パターンと言えば、最近、耳障りな言葉に「〜じゃないですか」の連発が気になっている。言い回しとして間違っているというわけではないし、私も使うことはあるけれども、ほんの二言三言のセリフの中に3回も4回も繰り返されればイヤでも耳についてしまうのだ。
「ほら、私って、外見とか気にしないヒトじゃないですか」
知らねえよ、そんなの(-_-;)。
ここまで押しつけがましくはなくても、自分が既知のもの、常識的なことと思っていることを、相手に同意を求める過程になしにサッサと話を進めようとする傲慢さにみんな馴れちゃってるってのはどういう神経なんだろう、と思う。
「お箸の正しい持ち方知らない人って、増えてるじゃないですか」くらいの内容なら、さっきの「人じゃないですか」パターンほどの不快感はないけれど、でもやっぱり「相槌」を打たせる間すら省略しようとしている感じはしっかり残っている。
自分の言いたいことを相手に確認してもらいたいなら、普通に「〜でしょう?」と聞いたり、「〜なんですよ」とハッキリ断定して話を進めればよい。それが言えなくなってるってのは、それだけ他人から突っ込まれることを拒否し、自分の身を守ることの方にばかり汲々としてしまっているということになりはしないか。
こういう会話パターンも既に成立して(いるとされて)久しいが、これの何が困るって、こちらの異論を差し挟む余地を初めから阻んでいる、ということなんである。と言うか、異論を加えること自体があたかも絶対的な悪であるかのような雰囲気すら形作ってしまっている。そのパターンを壊して、「そりゃ違うよ」と言おうものなら、「話の腰を折らないでください!」と逆切れされてしまうのである。コミュニケーションを拒否して、初めから「オレ語り」したがってるのはお前じゃねえか、と私は言いたいのだが。自分の方が意見の押し付けを行っているのに、自分が押しつけられてるかのように錯覚するってのは、こちらにしてみれば何だかなあ、なのだが、もともと本人にその自覚がないから、いくら説明をしてみても相手は納得できないのである。こんなに自明で簡単な論理もなかろうと思うのだが、そう思わせないのが「パターン」の怖さだ。「通用しているものは正しい」という盲信なのだね。それ以上、「それはただの盲信で傲慢です」などと言おうものなら、相手は今度は自分がバカにされてるとしか思わなくなる。ああ鬱陶しい。
会話なんて、しちめんどくさいものから逃げたくなる気持ちも分らないではないのだが、せめて自分から振った話題で初めから逃げばかり打つのはやめてほしいものだ。ホントにね、こんなパターンは誰が作ったんだ、ふざけんな、くらいのことは言っときたいのである。
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09月01日(月)
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