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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■世代の違いってことじゃないと思うけど/『ASTRO BOY 鉄腕アトム』1巻(手塚治虫原作・姫川明)
「(プロになれるくらい)才能のある人たちが、狭い世界に閉じこもってるのはどうしてなんですかねえ」
「そりゃ居心地がいいからですよ」
ZUBATさんはご自身もずっとコミケに参加していらっしゃるので、私の同人作家たちに対する批判的な言質に対しては自然と擁護する形になる。それはもちろん構わないのだが、私の判断に対して「そうではない」と否定するのではなくて、「その通りだけれども、それでいいじゃないですか」という言い方をされるのが何だかしっくり来ない。プロアマを問わず、表現をする者は自分の作品を読んでもらいたいと思うものではないのだろうか。
「仲間内の小さなコミュニティで読んでもらえればそれで充分じゃないですか。広く読まれて批判なんかされたくないですよ。だいたい自分の好きなマンガを貶されたってだけで怒り出す人間ばかりなんですから」
昔、『もののけ姫』についてある女の子と話をしていて、「アシタカって、呪いは完全に解けてないよね。結局死んじゃうんだな」と言ったら、彼女が「私のアシタカの悪口言わないで!」といきなり叫んだことを思い出した。
「でもそういう小さなコミュニティがネットで繋がっている今の状況はいいことだと思うんですよ」
でもお互いを拒絶してるのなら、実質的には繋がってないってことだ。それのどこに意味があるというのか、どうにも理解に苦しむ。けれどそこで「もっと広い世界を見るべきではないか」なんて他人の家のドアをこじ開けるようなモノイイもしたくはないので、私のほうもただ首を捻るばかりである。
「同人誌にしろネットにしろ、みんな自分の意見を言いたいだけですよ。人の意見なんて最初から聞く気ないんです。山本弘さんの掲示板見てれば分かるでしょ? 『煽りに反応するな』ってパソコン通信のころから言われてるのに、全然変わってないんですから」
それは私も本当に不思議でしかたがなかったのだ。煽りとハッキリ分かる意見に対してどうして過剰反応する人間しかあそこにはいないのか。コトバが瞬時にやりとりされる普通の会話と違って、書き込みをするのには当然時間がかかる。その間に熟慮するということがどうしてできないのだろうか。
「ネットはそういうものです。藤原さんは志が高過ぎるんですよ」
そんなにたいそうなことを私は語ってるつもりは全くない。自分の言いたいことを言ったり書いたりすれば、批判される可能性があるのは当たり前だし、それは覚悟しなきゃなんないことだ。それは私にとっては高邁な思想でもなんでもなく、ただのコモンセンスとしての「常識」にすぎない。
この「志が高い」という言葉にどうしても違和感を感じてしまうのは、それではまるでZUBATさんが「馬鹿に馬鹿と言ったって怒るのは当たり前でしょう」と聞こえてしまうからである。それって、全然身内の擁護になっていない。
『トリビアの泉』を引き合いに出して、ZUBATさんはこうも言う。「うちの会社の若い子もあれ見てますけどね、知識を得ようとかそんなこと考えてないですよ。司会者の掛け合いがおもしろいから見てるだけです」。
ますます「みんな馬鹿だけどそれでいいじゃないですか」と言ってるようにしか聞こえない。いや、馬鹿であることは全然いけないことではないのだ。人間はみんな馬鹿なんだから。でも、だからこそ人は自分の無知を恥じ、モノをもっと知りたいと思うものではないのだろうか。「学生のころもっと勉強しておけばよかった」と語るオトナは多い。上から押しつけられ詰めこまれた勉強は苦痛でしかないが、いったん解放された人の好奇心は、自然、快楽を求めるがごとく貪欲に知を漁り始める。実際、私の周りの人間はそういう人たちの方が圧倒的に多いのである。そしてそういう人たちと会話している方が、偏狭な世界に引きこもってる人たちと語り合うより、ずっと楽しいと思うのだが。
ZUBATさんは、ネット上で私が人や作品を批判すること自体、「言葉がキツイですよ。相手は怒るのは当然じゃないですか。なんでそんなことを全世界に発信するんですか」と仰るのだが、批判と悪口の区別がついている人なら、私の言質が全然キツクなんてないことはおわかりだろうし、普通、この程度のことで怒ったりはしないものである。
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08月25日(月)
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