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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■病院尽くし/『炎の転校生』1巻(島本和彦)
 「……昨日ですねえ、私のところに彼女が来ましてね。書類を持って来て、『これ、○○○の書類なんですけど、間違って私の書類に紛れこんでたんですよ。どうしましょう』と仰るものですから、『○○○にお返ししたらどうですか?』と言ったら『私がですか?』って答えるんですね。だから『お忙しいなら、私の方から返しておきましょうか?』と言ったら、そのまま黙って向こうに行っちゃいました」
 「……なんですか? それは」
 「……よくわかりません。好意的に解釈すれば、自分で処置すればいいということに気付いて帰ってったってことじゃないでしょうか」
 「それにしてもどうして一言も声をかけずに行っちゃうんでしょうかねえ」
 「わかりませんねえ」
 全く、謎なのである。

 今日のうちに買い物の類は片付けておきたかったので、博多駅まで足を伸ばすが、しげがもう「眠い」と言い出したので、私だけバスセンターの前で降ろしてもらって、しげだけ一足先に帰る。
 紀伊國屋でDVDと本を買い込んで帰宅。


 夜、『浅見光彦シリーズ17 秋田殺人事件』を録画しておいたのだが、ダイエー・ロッテ戦の放送が延長になったせいで、後半が切れてしまっていた。これだから野球が嫌いになるのである。延長したって全部放送できない場合だってあるのだから、最初から延長放送なんて姑息なマネ、しなきゃいいのだ。世の中野球ファンばかりで成り立ってるわけじゃねーぞ。
 ああ、くそ、誰か見てた人はいないか。加藤夏希の行く末が気になるぞ(今回のヒロインだったのである)。


 唐沢俊一さんの『裏モノ日記』8月20日の分に、「『トリビアの泉』はウスいからこそ受けている」という趣旨の記述があり、微苦笑する。スーパーバイザーとして番組に参画していらっしゃるわけだから、立場として貶すわけにはいかないのも分かる。けれど誉め方が屈折しているので、「やっぱりウスいってことは否定のしようがないんだよな」という印象の方が強くなってしまう。
 「テレビのバラエティー番組は、一般の視聴者の少し下のレベルくらいで丁度いい」とか言ってた業界人がいたが、その点、「ものたりねえなあ」と感じさせるレベルに抑えてるのは「今、受ける」戦略としてはアタリなのだろう。でも本当に「残る」番組というのはいつの時代でもアナーキーでカルトなものだ。そういう要素のない『トリビアの泉』は、放送が終了して10年も経てばまず確実に「忘れられる」番組になる(ならないためには延々と続けるしかない)。
 もちろんそれが「いけない」わけではない。私の(そしてたいていのオタクたちの)不満は、三木聡さんや唐沢俊一さんがスタッフにいるのなら、もっと面白く出来るはずだ、という「期待」が前提としてあるからである。
 しかし、実際には三木さんも唐沢さんもディレクターとしてあの番組に参画しているわけではない。モノを言うにも限界があるのだろう。実際、日記の中でも「テレビの世界に行かなくてよかった」と仰っている。

 職場でも若い子たちと『トリビア』について話す機会が多くなっているのだが、別にオタクでない普通の連中でも、やはりあの番組のネタの半分くらいは「つまんない」と思っている(「ウスい」って言い方もオタク用語なので、彼らは使わない。ここでオタクか非オタクの判別が付いちゃうのね)。
 彼らの知的レベルは、タモリや荒俣宏よりは薄いが、ビビる大木やMEGUMIよりは上、ごく普通と言っていいだろう。「ビビる大木って、なんであんなに『へぇ』を連発するんだ?」とパネラーの方がバカにされているのだ(そんな彼等にもこないだの「スフィンクス」ネタはツボにハマッていたようだった)。
 この「半分面白くて半分つまんない」という匙加減が高視聴率の理由だろう。内容が濃すぎると付いていけないし、薄いと見る気も起こらない。劣等感を感じさせない程度に知的好奇心を揺さぶっているのである。

 私も若い連中にせがまれて、つい豆知識を披露したりしているのだが、こないだ「土星と冥王星は水に浮くんだよ」と言ったら、「あ、それ知ってる! ホントホントホント!」と周囲に絶叫した女の子がいて困った。仕事中に叫ぶなよ(仕事中にそういうネタ振った私が悪いんだが)。

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08月22日(金)
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