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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■二元論の陥穽/『魔法先生ネギま!』1巻(赤松健)/『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(横溝正史)ほか
世の中にはおだてられれば簡単に有頂天になれる幸せなお脳の持ち主も多々おられるようだが、私はどうにもこういう過分な評価を受けるとすっかり逃げ場を失ってしまい、部屋の隅で膝っ小僧を抱いて畳に「の」の字を書いてしまうのである(そんなかわいいものか)。
……いやね、「誉められ上手」な人の「誉められて嬉しい」という気持ちがわからないではないけれど、翻って自分のことを考えた時に、「自分がそんなに誉められたもんかな」ということはどうしても考えてしまうものではないのかな。
私が掲示板に「悪口可」と書いているのは、実際、悪口を書いてもらったほうが気が楽だからだ。悪口の中にはただの難癖もある可能性はあるが、正鵠を射ているマットウな批判になっている場合も多い(つーか、悪口と批判の区別は論旨が明確であれば簡単に見分けられる)。
いや、ただの難癖だろうと、それはそれで相応の対応ができるのだ。誉められてしまうと「私はそんな立派な人間ではありません」と私がいくら“本気で”言っても信じてもらえないのである。何度か日記にも書いたことだけど、文句をつけられた方が、反論するにしろ謝るにしろ対話はしやすいのだ。
なんだかなあ、私がマジメだとか善人だとか、そういうふうに見られるのは、しげに言わせれば「たまに善人ぶったこと書くからじゃん」と突っ込まれてしまうのだが、それはもう、いろいろと「偽善者」であらねばならないオトナの事情もあるからではないの。つか、私はこの世に「善」と「悪」の二項対立が存在しているとは露も思っちゃいないのだ。
そういうものがあるとすれば、「偽善」と「悪」の二つだろう。人が大上段に「愛」や「夢」や「理想」を語らねばならないとき、その根底に「偽善」ないしは「悪」があることを否定してしまっては、まさしくそれは「絵空事」ないしは「信仰」にしかならない。
……何だか話がまた横ちょに飛んじゃったような気がするが、要するに私は「感謝され下手」だってことです。逆説的かつ矛盾した表現ではあるけれど、私がしげと一緒にいて疲れるけれど気が楽なのは、あいつが絶対私に「感謝しない」からなんだな。まあもともとあいつは誰にも感謝しない人間ではあるのだが。
マンガ、城平京作・水野英多画『スパイラル 〜推理の絆〜』9巻(スクウェアエニックス/ガンガンコミックス・410円)。
四十四話の「シュレンディンガーの猫は元気か」のタイトルには笑った。
確かに量子論に基づく猫のたとえ話は「フタを開けてみるまですべては不確定」ということではあるのだけれど、私の拙いアタマによる解釈が間違っていなければ、それは意志が物理的影響を及ぼすということであって、「やってみなけりゃ分らない」って意味とは大分違うと思うんだが。
量子論ミステリというのは私もいっぺん書いてみたくて、実際に舞台にかけたこともあるのだけれど、やっぱりどうしてもSFになってしまうのであった。量子論一つだけだとどうしても日常的説得力に欠ける。統一場理論がどんな形になるのかは分らないけれど、我々文系の凡人にも「ああそうか」と納得できるくらい噛み砕いてわかるように説明してもらえると助かるのだが。
それはそれとして、今巻もカノン・ヒルベルトを止めるために。結崎ひよのが自ら腕を切るという、いつも通りムチャな展開ではあるのだけれど、何となく納得してしまうのはひよののキャラがそれだけ「バカ娘」(もちろん誉め言葉である)として立ってるからだろう。最初は「ヒデエなこのマンガ」と思ってたのが、段々病みつきになってきた。これで私もトンデモミステリが書きたくなっちゃったら困るんだけど(「既に書いてるだろう」というツッコミは却下)。
マンガ、赤松健『魔法先生ネギま!』1巻(講談社/少年マガジンコミックス・410円)。
……えーっと、例えて言うならハリー・ポッターが女子中学の先生になる話です。まんまやんか。主人公のネギは魔法使い見習いで、卒業試験として女子校の先生をやらされる、という設定なんだけど、まあ無理があろうと女の子が出てくりゃいいだけのマンガなんだから文句つけたってしょうがないな。
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08月10日(日)
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