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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ある正義の死/『日本庭園の秘密』(エラリィ・クイーン)
そう思うとき、さほど思い入れのなかったはずの彼の死の大きさが私にもようやく見えて来る。アメリカが失ったものは白井佳夫が指摘しているような「民主主義」の代弁者ではなく、映画の持つ真っ直ぐなカッコよさではなかったか。ヒーロー映画は作られる。主人公の苦悩も昔と変わらぬように描かれる。けれど、その苦悩を乗り越える力をペックほどに感じさせてくれる俳優が彼以後、どれだけいただろうか。『スーパーマン』のクリストファー・リーブも『バットマン』のマイケル・キートンも『スパイダーマン』のトビー・マクガイアもみんな弱っちく見えないか。『白鯨』をモチーフにした『ジョーズ』のロバート・ショウはどうだったか。
理屈抜きの、批評することを拒絶した、単純なスターへの憧れ。もはやアメリカはどこか屈折した形でしか映画を見られなくなっているように思う。
エラリィ・クイーン『日本庭園の秘密』(大庭忠男薬/ハヤカワ文庫・819円)。
エラリィ・クイーンの国名シリーズの最終作……と言っても実はクイーン自身からそうは認定されていないこともミステリファンには周知の事実。でもまあ、この日記を読まれる方にはその辺の事情をご存知ない方もおられるだろうから、簡単に。
この小説の原題は“The Door Between(間の扉)”と言い、「日本」という単語は冠されていない。しかし雑誌掲載時には“The Japanese Fan Mystery(日本扇の秘密)”というタイトルであって、『ローマ帽子の秘密』以来の国名シリーズを踏襲していた。変更の理由は、原作発表時の1936年という第2次大戦前夜の時代背景が影響しているということだ。それまでの長編には必ずあった「読者への挑戦状」も省かれているし、エラリィの決めゼリフ「Q.E.D.」もない。
しかし、この小説のタイトルは絶対に『日本扇の秘密』でなくてはならない。それは本作に他の国名シリーズ以上にクイーンの日本趣味が横溢しているからであるのだが、それだけではない。たとえ「日本」と謳っていても、『日本庭園の秘密』や『日本庭園殺人事件』(石川年訳・角川文庫)や『ニッポン樫鳥の謎』(井上勇訳・創元文庫)ではダメなのである。その点では今回の新訳も、原作タイトルの意味を理解していない、と言える。
実は、本作には「日本扇」は全く登場しない。翻訳者たちが首を傾げつつタイトルを変更しただろう事情は、創元版の脚注であの最低訳者の井上勇が「内容とはあまり関係がない」と書いてることからも見当がつくのだが、これは実際の扇を指すのではなく、「寓意」としてのタイトルなのである。
「扇」は何に使うものか。風で仰ぐものでしょ? と答えてしまってはその寓意は掴めない。日本の古典世界において、扇は「人の顔を隠すもの」であった。特に女の。本作の登場人物たちはみな、見事に自らの「顔」を隠している。探偵エラリィ自身が「単純に見えてこんな複雑な事件はない」と、最初ネを上げかけるのは、主要人物たちの本当の顔が見えてこないせいであるのだ。まさしくミステリ中のミステリを象徴するようなタイトル。これを「樫鳥の謎」などと改題した井上勇のマヌケさには、腹立たしさすら覚えてしまう。
日本贔屓の閨秀作家、カレン・リースが、日本庭園を望むニューヨークの自邸で怪死を遂げる。癌研究の大家、ノーべル賞受賞学者のジョン・マクルーア博士との結婚を控えていた彼女に、いったい何が起こったのか? 現場は窓に鉄格子がはめられ、屋根裏部屋へ通じる扉には鍵が内側から差し込まれ、入口の扉の見える居間にはずっとマクルーア博士の娘、エヴァがいた。
誰も入れるはずのない「密室」の中でカレンは殺されたのである。“もしもエヴァがカレンを殺したのでなければ”。
容疑をかけられ、パニックに陥るエヴァ。なぜかエヴァを助けようと策を弄する私立探偵、テリー・リング。固くなに証言を拒む琉球人のメイド、キヌメ(漢字で書くと「絹女」か?)。それぞれに秘められた思惑を暴き、隠された真実を解き明かすべく、エラリィは、父親クイーン警視とも対立しつつ捜査を進めて行く。
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06月13日(金)
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