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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■正義に勝たれても/『少年名探偵 虹北恭助の新冒険』(はやみねかおる)
終日小雨。梅雨入り宣言はされたはずだが、まとまった雨が今のところ降ってない。今年は空梅雨かな。また水不足にならなきゃいいけど。1日中ジメジメしているが、風は吹いているのでそれほど不快というほどでもない。
仕事は忙しいが、この程度の気候なら、体調を崩すギリギリの線で何とかカラダも持っている。……と言いつつ、今日は早出の仕事があったのに、どうにも起きられずに同僚に連絡、遅れて出社。無理はやはり効かなくなっているのである。
奈良県市町村人権・同和問題啓発活動推進本部連絡協議会というところが(長いよ)、インターネットの掲示板への差別的な書き込みを監視する「インターネットステーション」を開設したとのニュース。
悪質な書き込みについては、プロバイダー法に基づいて発信者を特定して、名誉棄損や脅迫容疑で告発する方針だという。
とは言っても、いきなリ告発というような乱暴なことはせず、初めのうちは人権の大切さを理解できるような新たな書き込みをしていくんだとか。
気持ちは分らないではないのだが、この「悪質な書きこみ」っての、基準が設けられるものじゃないからねえ。なんだかんだでただの言葉狩りになっちゃうんじゃないかという危惧は否めない。
早い話が、今、私がこうして感想を書き連ねているこの文章ですら、「悪質」と判断されてしまうのであろうか? 出版業界の自主規制は、差別語、僭称語とされるもの自体を完全排除する方向に向かっているが、そんなことをすればこの手の問題について語り合うことすら困難になってしまう。
特に気になるのは、この協議会の人たちの姿勢が、「告発するのは認識を改めることなく、名誉を傷つけたり、脅迫したりする書き込みを続けたケース」と言ってる点で、もちろん法的に問題がある場合、それも仕方ないとは言えるが、初めから「認識を改めない」と、あたかも「認識を改めるのが当然」という考えで望んでいる点である。こういう何が差別で何が差別でないか、といったような明確な線引きのできない問題に関しては、自らもまた差別者でありうる可能性を常に忘れてはならないのではないか。絶対正義の姿勢がどれだけ危険かは、具体例をいちいち挙げるまでもなく、容易に想像できることだと思うのだが。
少なくとも、私が今まで出会ってきた被差別者の方々、部落出身の方々や、身障者の方々で、真剣にこの問題について考えている方々は、決して自分たちを被害者としてのみ捉えてはいなかった。巷間よく言われることのある「傷つけられた人間には、他人の痛みもわかる」というのがウソであることは、虐待されたことのある子供が親になったときに、その子をまた虐待するケースが多いことでも証明できる。
本来この言葉は、「傷つけられたことがあるのなら、他人の痛みも理解できるようにならなければならない」であって、自らが加害者になり得る可能性を否定しちゃいけないのである。
同協議会の平岡恭正事務局長さん、「差別は人を傷つけるという基本的なことを理解してほしい。賛同者を増やし、全国に啓発運動の輪を広げたい」と話しているんだそうだ。このコメント、どの程度ご本人の言葉のニュアンスが反映しているかよくわからんけど、これだけだと逆に差別に関する認識がえらく低いように見えてしまう。っつーか、理念だけが先走ってて、現実がまるで見えてないように聞こえちゃってねえ。差別がよくないことがわかってても現実には差別が横行してるわけだし、人を傷つけちゃいけないったって、人を傷つけずに生きていけるはずもない。「気をつけよう」なんてスローガンだけ言ってて世の中どうにかなるなら、とっくの昔にどうにかなっている。我々はこの現実をどうにも変革のしようもないジレンマの中で生きてるんであって、その事実を踏まえずにご大層な言質だけを撒き散らすのは、それこそ「賛同者」を増やすことだけを目的としたカルト宗教と何の変わりもない。
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06月12日(木)
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