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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■無知の巣窟/『美女で野獣』2巻(イダタツヒコ)
私も87分署シリーズはそんなに読んではいないが、さすがに『キングの身代金』くらいは読んでいる。黒澤明脚色を除いてもあれはなかなか面白かった記憶がある(随分昔なんで、細かい内容を忘れてるのはいつものことだが)。テレビシリーズの『87分署シリーズ・裸の街』(古谷一行がスティーブ・キャレラ、田中邦衛がマイヤー・マイヤーだった)でも前後編で映像化されているくらいの、シリーズ中でも特に人気の高い、傑作の部類に入る作品なのだ。別に黒澤が映画化したから傑作になったわけではない。マトモな鑑賞眼を持った人間なら、「つまらない作品」などと切って捨てられるはずがないのである。
この誤解には、黒澤明自身が「エド・マクベインの小説はほんの一部分を借りただけです。誰をさらおうとも脅迫は成り立つというあの思いつき、あれがすばらしい着眼だったので、そこのとこだけもらったんです」と述べている点に原因があるのだと思う。この言い方だと、原作を読んだこともなくて短絡的なオツムしか持ち合わせていない人間なら、「他の部分はつまらないんだな」と思いこんでしまうだろう。
当たり前のことを真面目腐って口にするのも気恥ずかしいが、全く、「貶すならまず読んでからにしろ」なのである。
> ネットの映画サイトでも、『天国と地獄』をコトコマカに批評家ぶって分析しながら“原作は読んでません”などとツラリと書いている人が多いのには呆れる。ただ見るだけならいいが、一応批評めいたことを書こうというなら、原作くらい読んでおかないとたけしのように恥をかく。
ネットに参加する人間の知的レベルが著しく低いのは、某SF秘密基地の定連を見ていても分かる。チェック機能の働かない、書きたい放題の映画サイトに集まってくる連中など、無知な上に恥知らずの塊みたいなやつがほとんどである。そいつらを基準にイマドキの連中を語られてもなあ、とは思うが、そいつらに「分を知れ」と言ったって、聞く耳なんか持ちゃしない(持ってりゃ、SF秘密基地があんな惨状になりはしない)。実際にそういう有象無象がはびこるのも、ネットの避けられぬ弊害なのだ。
バカの淘汰は不可能としても、「指摘」だけはしておかないと、バカが増殖する。唐沢さんにはやっぱり「小言幸兵衛」になってほしいんだけど、そこまで老けこみたくはない、と思ってらっしゃるのかなあ。
その「無知の巣窟」、某SF掲示板であるが、しばらく覗いてなかったが、いつのまにかまた、いくつもの香ばしいスレッドが立ちまくっている。
洋モノの特撮・テレビ番組の翻訳の名訳・迷訳のスレッドの中で、『刑事コロンボ』の翻訳について、某作家さんが戸田奈津子と額田やえ子を取りちがえた挙句、「コロンボはキリストのカリカチュア」などとトンチンカンな批評をしているのを見つける。
さすがにこれには「あれは『罪と罰』のポルフィーリィ判事がモデルなんですよ」とツッコミが入ったが、コロンボファンには周知の事実をその作家さん、ご存知なかったようなのである。
一応、コロンボをキリストに見立てること自体は面白い見方だし、不可能だとも断言しないが、そもそもミステリにおける「探偵」が主役ではなく「狂言回し」に過ぎないことは自明のことであるし、だからこそ「神」に例えられるのは別にコロンボに限ったことではなかったのである。私生活が明らかになっていない探偵なんて腐るほどいる。「隅の老人」もキリストのカリカチュアだと言うつもりかね(^o^)。
「そう断言できる」というのと、「そう解釈することも可能だ」ってのをとっちがえちゃいけないんである。
その作家の方も、随分トンデモ擬似科学を批判されてる方なんだけれども、自分が思いこみっつーか妄想にとらわれちゃシャレにならんと思うんだが。
ついでに言っておけば、額田さんの訳を「名訳」と称える人も多いが、それも原典に当たらずにイメージでモノを言ってるだけの「錯覚」である。「my wife=かみさん」と訳したってだけで名翻訳家に仕立てあげるのは、いくらなんでも乱暴ってものだろう。実は額田さんの珍訳の多さは、戸田奈津子に勝るとも劣らないのだ。そのいくつかはこの日記でも指摘しておいた。
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06月04日(水)
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