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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ある終焉@
サイトを開けば、それは衆人に公開されることになる。誰にどう批判されることも覚悟しなければならない。それは、批判する相手が名乗りをあげようか匿名であろうが関係のないことだ。サイトを閉じることは、結果的に「誰からの批判も一切受け付けません」と宣言するのと同じことになる。それなら、もともとなんのためにサイトを開いたというのだろう? その方が誰の批判も受け容れる覚悟があったなら、こうしてサイトを閉じる必要もなかったのではないか?
つまりはその方は本当は自分を慰める言葉、癒される言葉だけがほしかったのである。そして取巻きの人々はその管理人さんの心の弱みに付けこんだ。恐らく最後まで管理人さんは、自分が取り巻きの人々に「利用」されていたことに気がつかなかったことだろう。
管理人さんはサイト閉鎖の挨拶で、未だに「どんな批判でも受け付けます」と気丈なところを見せているが、これも恐らくは自らを守るためのうわべだけの言葉だろう。その方は自らの紡ぎ出す美しい言葉だけに浸る生き方を選んでしまった。それはそれで別に悪いことでもなんでもないのだが、もともとそうなることを望んでサイトを開いたわけではなかったはずだ。
そこまでその方を追い込んだのは、明らかに「取巻き」の人たちなのである。「批判者」たちの方ではない。
だから「取巻きさん」たちに問いたいのだ。あなた方は管理人さんに何をしたのか、「自覚」はあったのですか、と。
マンガ、鳥山明『ドラゴンボール 完全版』11・12巻。
ピッコロ大魔王の復活は、当時は随分盛り上がったものだったが(キャラデザインも画期的だった)、同時に『Dr.スランプ』以来の鳥山さんのトボケた味がほぼ完全に払拭されるきっかけになったアタリでもある。
ピッコロの上目遣いに相手を睨めつけるポーズが、リアル化していく孫悟空にまで伝播していくのだ。私はこのへんからもう、惰性でしか『ドラゴンボール』を読まなくなっていったのだが、実際にはこのあたりから人気の更なる高騰が始まっているのである。
しかも女の子に。
「やおい」という言葉を私が耳にするようになったのがいつごろからか、もうハッキリとは覚えていないが、80年代後半はまさにやおいの時代と括ってもいいようなくらい、私の感覚では付いて行けないアニメに女の子のファンが集中した。
それまでにも女の子が熱狂したアニメもないわけではなかった。しかしそれは同時に男の子たちにもエポックメーキングな作品として評価を受けていたのである。『海のトリトン』などはいい例だ。しかし、ドラマ的にも作画的にもオソマツの一言に尽きるのに、女の子だけが熱狂するアニメやマンガが、この時期からドッと増えていくのだ。
世の30代、40代の男性諸君、あのころ、『聖闘士聖矢』や『鎧伝サムライトルーパー』や『天空戦記シュラト』のネタを女の子から振られて、どうしていいのかわからなくなった経験、ありませんか。
当時は「なんでやねん」と思っていたものだったが、今にして思えば、それはやはり抑圧された女の子たちが、自分語りを始めた一つの例なのだろう。自分を語るのに予めキッチリと作られたドラマは想像の幅を広げるのにジャマなのである(だからドラマが劇的な展開を迎えると、「こんなの私の○○じゃない!」と泣き騒ぐ)。
最近流行ってるらしい「ドリーム小説」もそうだが、ドラマを楽しむのではなくて、自分の物語にキャラクターや設定を利用しているのである。まあ、一見、女の子たちが自立し始めたようにも見えて、悪くないのかもしれないけれど、そうやって新しく作られた物語が果たして他人の共感を得るものになるかって問題が残ってるんだよね(^_^;)。
私も自分を主人公にしてアニメの設定の中に入りこんで一発、小説書いてみようか。……でも特に「この世界に入りたい」ってのないしなあ。『ドラゴンヘッド』とか、絶対いやだもんな(^o^)。
05月06日(火)
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