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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■彼、行くは星の大海/『フルーツバスケット』11巻(高屋奈月)/『てんしのトッチオ』(鳥山明)
 いや、これはただの例えで、そんなことは全くしてませんが。
 

 今日で「BSマンガ夜話」は最終日、取り上げられたのは、小山ゆうの『あずみ』。
 みんな誉めるねえ。なんで?
 小山ゆうのマンガ、ウチには結構あるんだけれど、これ殆ど全部、しげが結婚前から持ってたやつである。『がんばれ元気』『スプリンター』と言った代表作はもとより、『愛がゆく』とか『チェンジ』『いざ竜馬』『サムライ数馬』『風の三郎』なんてマイナーなものまで集めていたのだ。私は『おれは直角』しか持ってなかったのに。
 それが、『ももたろう』で小山ゆうを嫌いになってからは、全然買わなくなってしまった。『あずみ』はちょっと面白そうということで買い始めていたが、これも飽きて読まなくなっている。しげが好きなのは「少年マンガ」の小山ゆうであって、青年マンガのそれではないのである。
 でも私は小山ゆうには殆どと言っていいほど引っかからなかったので、『あずみ』も全然面白くないのである。従って、レギュラーやゲストの方々が口々に称える魅力というのが全くピンとこない。だいたいしかわじゅん、オマエ、「さいとう・たかをは擬音の字体を何十年も変えてない、これはマンガ家として怠慢」とかさんざん貶してたくせに、そのさいとう・たかをのアシストで、全く同じ擬音の字体を使ってる小山ゆうを貶さないのはなぜだ。私にゃ、マンガ表現としては『おれは直角』のころから一歩も進歩してない(逆に退歩している)としか見えない小山ゆうを口が裂けても面白いとは言えんぞ。
 岡田斗司夫さんが「すげえマンガが始まったっていうんで読んでみたらホントに凄かった!」とすごく喜んでるけど、その連載第一回、二回を私も読んでるんである。なのに全然インパクトを感じなかった。っつーか、どんな始まり方だったか、今、思いだそうとしても全然浮かんでこない。それは多分、小山ゆうさんの描く時代劇マンガが、基本的に時代劇になってないからだと思う。マンガ、あるいは劇画の顔で、日本人の顔になってないんだよねえ。だから和服を着せても全然似合わない。ギャグならともかく、シリアスじゃあどうにも違和感だけが先に立ってしまうのだ。これは、師匠のさいとう・たかをも時代劇が描けなかったのと共通しているような。
 でも、そういう視点では読んでないからみんな楽しめるんだろうなあ。映画の方は生身の人間が演じるから、どんなふうになるか一応見てみたくはあるんだけど。


 いよいよ明後日はわざわざ東京まで芝居を見に行くのである。
 さあ、今月はオカネが続くのか(^_^;)。
 仕事を終えてそのまま空港に直行しなきゃならないので、もう今日のうちから準備しないと間に合わない。
 ビデオカメラを持っていく、と私が言うと、しげが「なんで? 荷物になるやん」と文句を言う。
 「記録になるからだよ。何十年か経って見てみると懐かしいやろ。オマエだって、オレが子供のころの8ミリ見たら喜ぶやん」
 「だって、それはアンタが今ここにいるし」
 いたらなんだというのだ。口をモゴモゴさせるばかりでハッキリとモノを言わないので、真意が全然わからない。要するに私がビデオを振り回す様子がみっともないとかそんな理由だろう。それにそのビデオにはしげは写っていても、私は写っていないのである。
 だったら自分でも撮ればいいのに、それはしたがらないのだから、結局はただのワガママなのだよなあ。


 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』11巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 十二支の話はどうでもよくて、花ちゃんが好きで読んでるってのはファンの人から見たら叱られちゃうかなあ(^_^;)。だもんで、今巻が十二支も全員揃って、しかも慊人の正体もわかってって、一応のクライマックスになってるんだけど、私は「ふ〜ん」ってなもの。
 なんだかなあ、『カレカノ』もそうだけど、最近の『花ゆめ』系マンガ、傷ついた男の子の心が乙女の優しさで癒されるってパターン、多くなってないか。男の作家が女にそういう理想像を求めるのはまあ、男のサガだから仕方がないとしても、女の作家がそれを描くとどうも「自画自讃」的に見えてしまうのだよねえ。

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02月27日(木)
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