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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■入れ物だけが増えてもねえ/DVD『ケルベロス』『トーキング・ヘッド』/『ジャック・チックの妖しい世界』(唐沢俊一)
 映画会社の中で一番勢いに乗ってるのはここ10年くらい、ずっと東宝だったんだけれど、ここまでやれるのかって印象だったのが、昨25日に発表された、ヴァージン・シネマズ・ジャパンの全株式の買収。約100億円だってさ。ひゃ、ひゃ、ひゃくおくえんって、へいたいのくらいでいうと、ぐんそうくらいかな。
 福岡のVCはトリアス久山にあるんだけれど、そう言えば去年までは『ドラえもん』も『クレヨンしんちゃん』も上映してなかったのに、今年から見られるようになったもんな。
 いや、そのことは嬉しいんだけれど、ほかの地方は知らないが、キャナルのAMCや、ホークスタウンのユナイテッドシネマに比べると、福岡のVCは位置的に遠いし、客足あまり多くないんだよなあ。そんなとこ買いとって大丈夫なのか、東宝。もっとも日曜でも駐車場が空いてるおかげで、車が停めやすくていいんだけれど。
 これで東宝はスクリーン数が業界第1位になったってことだけど、それならそれで、単館上映の多いインディーズ系の映画なんかも買いつけてさ、いい環境で見せてくれたら嬉しいんだけどね、商業主義一本やりで、天神東宝とたいしてラインナップが変わらない、ということにならないでほしいものなんである。
 『跋扈妖怪伝 牙吉』買ってくれ。まだ配給元、決まってないみたいだぞ。


 DVD『押井守シネマ・トリロジー/ケルベロス 地獄の番犬&トーキング・ヘッド』をコメンタリーで。
 要約すると、『ケルベロス』は「エビ食ってた話」で、『トーキング・ヘッド』は「石村とも子の足を撮るべきだった映画」か(^o^)。
 でも久しぶりに見返したけれど、どちらもこんなに面白い映画だったかなあ。どちらも演劇的要素が随所に見られるせいもあるけれど(『トーキング・ヘッド』は特に)、自分がモノ作りのハシクレにいるからこそ見える部分があるからだろうなあ。
 いや、実際に「押井守はつまらない」という感想を述べる人がいるのもわかるのである。「なんで他人のオナニー見せられて喜ばなきゃならんのだ」と「エヴァ騒動」を評した人がいたが、もちろん押井守もこれらの実写作品では臆面もなく自慰を繰り返しているのである。
 つまりは、「自慰にもテクニックが必要だ。すなわち握力、角度、速さのバランス、そして行為を完遂するための職人魂」なんて話を大マジメに語れる人間でないと、押井守の映画は全然楽しめないのだ。……いや、これは一つの例えですから、アナタの自慰はどんなの? なんて聞かないでね(^_^;)。

 『ケルベロス』のヒロイン、唐密(タンミー)を演じた蘇億菁(スー・イーチン)、当時は18最で、親にナイショで出演してたとか。モデル出身で演技は初めてだったそうだが、紅一が「犬」になれるムードさえあれば、こういう役に演技力は要らないのである。
 昨日見た『紅い眼鏡』でも、天本英世の起用を押井監督は「演技指導なんかしない。そこにいればいい」旨の発言をしていたが、まさしくそれが「見せ物」としての映画の本質なんである。
 押井さんはよく寺山修司の影響を受けた、と評されるが、寺山さんに限らず、映画ってものを知ってる監督は、「その役者がどんな役者か」を知ってるものだ。演技を要求しなきゃいけない役もあるし、そんなものは要らない役もある。『ケルベロス』で言えば、千葉繁と松山鷹志は前者で、藤木義勝と蘇億菁は後者だ。だから前者と後者が絡んだときが映画は俄然面白くなり、後者同士の絡みはほとんど立ってるだけ歩いてるだけのムード造りに終始し、ダレ場に使われたりしている。そういうところを見るとホントに面白いんだけどなあ。

 『トーキング・ヘッド』はアニメ製作現場を舞台に、失踪した演出家の代役として映画を完成させるべく雇われた「流しの演出家」丸輪零の愛と冒険の物語(^o^)。キャラクターに全てモデルがいるということで、いちいち押井さんがそれを解説してくれているのだが、これって、なんだかんだ言いながら押井さんが愛されてなきゃできるこっちゃないよなあ。なんたって、モデルにされた人で怒り出す人がいないとも限らない描き方なんである。具体的な描写は避けるが、アニメ業界には変人しかいないのか(^_^;)。

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02月26日(水)
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