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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■夢見が悪い日ってあるよね/映画『金髪の草原』/『うさぎとくらたまのホストクラブなび』(中村うさぎ・倉田真由美)ほか
 大島弓子の映画化作品は多く、萩尾望都や竹宮恵子の映画化作品に比べればはるかに完成度の高いものが多いのだが、それでも「傑作」、とは呼びにくいのは、やはり大島弓子のキャラクターが一旦、マンガというフィルターを通して生身の人間が濾過されているからだろう。それをもう一度生身に戻しても、まずセリフがキャラクターに乗らないのである。
 原作にはなかったと思うが、日暮里老人を訪ねたかつての旧友・神崎(加藤武)とのやりとりで、「エノケンの映画をよく見にいったよなあ」「行った行った」「でもおまえはすぐシミキンのファンになってな」「し……しみ?」とあったのはなかなか凝っていた。
 シミキンが台頭してきたころ、戦争が始まる以前には、もう日暮里老人の記憶は失われていたのである。それを聞いた加藤武の、静かに受けるだけの演技は絶品である。日暮里の知らぬ戦争で神崎は片腕を失っているのだから。
 こういうところに映画の白眉を見るのはやや意地の悪い見方だとは思うけれど、このシーンを見るだけでもこの映画を見る価値はあると思う。


 日本映画専門チャンネルで続けて、黒澤明監督作品『悪い奴ほどよく眠る』。これも随分前に見たっきりで久しぶりに見たが、以前は地味で長ったらしい印象だったものが、全く逆にサスペンスフルにハラハラドキドキ、画面から目が離せなくなっていたのには驚いた。なにしろ2時間半の長尺をまるで退屈に感じないのだから凄いことである。
 ストーリーは逆に一本調子だなあ、と思うようになった。説明的なセリフが多いのもテンポを阻害していて気になるところだ。
 汚職事件の責を取らされて自殺に追い込まれた父親の復讐を誓った西幸一(三船敏郎)の計画自体、今見るとかなり杜撰である。汚職の中心人物の一人・岩淵副総裁(森雅之)の娘婿になりおおせたまではいいのだが、復讐の相手を脅かすのに夢中になりすぎて、あちこちでボロを出してしまっている。幽霊騒動まで起こすのはちょっとリアリティに欠けるだろう。
 特に薄幸な跛の妻・佳子(香川京子)を愛するあまり、かえって抱くことができない、というのは最大の失敗だったろう。そのことが結果的には西自身の身の破滅を招くことになるのだが、復讐者の人間的な優しさが自縛の紐となる展開は、この映画が制作された昭和35(1960)年当時においてもいささか古臭過ぎはしなかったか。
 当時、政府筋から汚職事件を扱うことについて「圧力」があったとも聞くから、そのような結末のツメの甘さは、黒澤監督の妥協の産物なのかもしれないが。
 いささかステロタイプになってしまったとは言え、登場人物たちのキャラクターとしての存在感にはやはり眼を見張る。
 誰かが指摘していたことだが、この『悪い奴ほどよく眠る』は、黒澤版『ハムレット』であると。
 なるほど、復讐鬼・西幸一はまさしくハムレットである。佳子もオフィーリアも、愛する人の愛を受けられぬまま狂気に陥ってしまう。佳子の兄・辰夫(三橋達也)はレイアティーズであり、岩淵はもちろんクローディアス王だ。ああ、幽霊騒動が起きるところも似てるか(^o^)。
 しかし『ハムレット』と違うのは、復讐の相手であるクローディアスに当たる岩淵は、死ぬことなく、ラストでゆっくりと深く、安眠するのである。その分、観客の感じる悪辣さはクローディアスの比ではない。『白痴』で絶対的な善人を演じたのと真逆の日本人的「悪」の象徴を森雅之は見事に演じきっていると言えるだろう。
 ほかにも、お人好しが災いして、岩淵たちの罪を背負わされて自殺させられそうになったのを西に助けられ、同じく復讐を誓うも、どこか頼りなげな和田課長補佐を演じた藤原釜足、小心ゆえにただただ怯えながら自滅して行く白山課長の西村晃、冷酷な殺し屋がこのころは似合っていたデビューしたばかりの田中邦衛など、ワキ役、チョイ役にも見所が多い。
 ちなみに、西幸一のテーマソングは、一時期、私自身のテーマソングであった(^o^)。映画館を出て、今見た映画のテーマソングを口笛で吹くようであれば、その映画は名作と言えるのではないか。
 未見の方は、ぜひ。
 

 晩飯は久しぶりにカレー。

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02月10日(月)
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