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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■階段の怪談……f(^_^; スンマセン/『自殺』(柳美里)ほか
 嫁に嫌われてもお小遣いをせびり取る老婆。彼女は昔、難病にかかった息子の命をブラック・ジャックに救ってもらっていた。おばあちゃんは、まさしく一生をかけて、その高額な治療費をブラック・ジャックに支払い続けていたのである。

 何度となく『ブラック・ジャック』中で描かれる「医療とカネ」の問題である。
 しかし、このシリーズが一筋縄ではいかないのは、「人の命を助ける医者が高額の代金をもらって何が悪い」というテーゼが提示される反面、別の話では「医者が人の命をどうこうできるなどとはおこがましい」というアンチテーゼも描かれていることだ。
 そんなことも含めて、「医者ってなんだ」「命とはなんだ」という疑問を読者に問い続けたのが『ブラック・ジャック』という物語だったのだろう。答えなんて、手塚治虫自身にだってわからなかったと思う。


 柳美里『自殺』(文春文庫・480円)。
 そう言えば、柳さんが自分の名前を「ユウ」と読ませてるのは間違いだと『まれに見るバカ女』の中で呉智英が指摘してたな。
 本当の発音は「ユ」と短く、「ユウ」だと「乳牛」という意味になるのだという。
 朝鮮人と言っても、柳さんは在日二世の人である(正確には在日韓国人。「朝鮮」という呼び方を韓国の人は嫌うらしいが、北朝鮮と韓国をひっくるめた「朝鮮半島」って言い方が日本じゃ一般的なんだけどな。わざわざ「韓半島」と読んだら、今度は北朝鮮から文句が来そうだぞ)。どれだけ韓国語ができるのか怪しいし、そういう間違いもあるんじゃないかなあ。それをあげつらうってのは呉さんもどうかしてるな。
 呉さんは「朝鮮語ができなくて当たり前である日本人に、朝鮮人名の朝鮮語読みを強制するほうが理不尽」とも主張しているが、別に日本人じゃなくて朝鮮人なんだから、理不尽でもなんでもないでしょう。呉さんは中国や朝鮮に行ったときに自分の名前が向こうの発音で読まれても気にならないのかもしれないけれど、普通の日本人は「それ、オレの名前じゃないよ」と感じると思う。

 そんなことを思ったのは、この本の書きだしが、「はじめまして、ユウです。柳と書きますが、ユウと読みます」で始まってたから。
 これは、1993年に神奈川県立川崎北高校で行われた柳さんの講演及び生徒との対談記録、それに1999年時点での論考を追加したものなんである。
 1993年は、ちょうど柳さんが処女小説『石に泳ぐ魚』を執筆している最中であり、さて、このとき柳さんがどんな心理状態で小説を書いているのか、ということの興味もあって読んでみた。
 
 テーマがなにしろ「自殺」である。
 柳さんの担当編集者はこの講演の企画を説明する時に、「自殺といったら、経験者でもある柳さんをおいてほかにいないと思いまして」と言ったというが、冷静に考えれば、こんなヒドイ言い方はない。まあ、柳さんが「有名人」であり「表現者」であるから、多少のシツレイをしたところで構うまい、という判断はあったろうが、普通、自殺未遂者に「自殺しようとしたときどんな気持ちだった?」なんて聞かないもんだ。
 講演を依頼した学校の方も、恐らくは軽い気持ちだったんじゃないか。柳さんのことを「自殺を乗り越えて強く生きている」というふうに考えて、生徒に「命の大切さについて考えてもらいたい」とかな。
 しかし、柳さん、確かに「強く」生きてはいるのだろうが、その「強さ」っての、普通に期待されるような前向きなもんじゃないんである。どっちかっつーと、「後ろ向きな強さ」っつーか、「暗い強さ」(^o^)。

 「小学校六年で生理が始まったとき、はじめて自殺を考えた」
 「生理が始まったことは私にとって、死期が近づいたということだった」
 生理のない男である私が、こういう感覚について、あまりうかつなことは言えない。不安はあっても、母になれる身になった喜びはないんだろうか、とか考えるのは、やはり男の勝手なリクツ、ということになるのかもしれない。ましてや柳さんは子供のころから母親に「あなたなんか産まなければよかった」と、母であることを拒絶した言葉を聞かされ続けていたのである。

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01月16日(木)
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