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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■またまた風邪悪化/『別冊宝島Real まれに見るバカ女』/『宇宙をぼくの手の上に』(山本弘)ほか
 極端な話、誰が見ても明白な形で犯罪を犯したことがわかっている場合でも、例えば、殺人の現行犯で逮捕された被告の弁護に立ったときに、「やったことは悪いことだけど、本人も反省してますから情状酌量を」なんてナマヌルイ懇願をしたところで、そんなの何の弁護効果もないのだ。
 じゃあどう言えばいいかっていうと、「被告には殺意はなかった」とか「偶然の事故だ」とか主張しなきゃならないのね。大事なのは、「たとえそれが事実に反することであろうと、被告を救いたいという意志を表明すること」、これなんだね。アナタ、世間一般に流通してるアマイアマ〜イヒューマニズムとか良心なんてものを持ってたら、裁判にゃ勝てやしないんですぜ。

 柳美里の目的は自作を出版することである。
 自らを「文学者」と自認している人間が、目の前に書いてみたい題材が転がっていた場合、たとえモデルとなる人間の人権を傷つけることになることがわかっていても、それを果たして書かずにいられるものなのかどうか。
 もともと、「作家」だの「文学者」なんて存在は、常識や道徳観にとらわれないところに位置しているものだ。彼らを突き動かすものは自らの正義のみであり、だからこそ、従来の規範や既成概念を破壊する方向に往々にして進んでしまう。いい悪いではなく、そうでなければ「作家」は「作家」としてのアイデンティティー自体を断たれてしまう。
 柳美里は、本心では「人権」なんてどうでもいいと思っているのだ。というより嫌悪しているといってもいい。裁判での「身勝手な理屈」はもちろん柳美里の本心の声ではない。自らの著作を何が何でも出版したいための方便である。
 柳美里は少なくとも「バカ女」ではないと思う。外道だし、クソ女だし、多分既知外でもあろうが、彼女が「文学者」であるならば彼女の取った行動は全て当然のことだ。ただ、私が柳さんを無条件に「弁護」してるとは思わないでほしい。いくら「作家なら当然の行為」だからって、社会的に許されることではないから裁かれているわけなんでね。
 たとえ改訂版であっても、『石に泳ぐ魚』は出版された。改訂前の形で出せなかったことに柳さん本人は不服かもしれないが、うまいこと裁判官をだまくらかしてそこまでこぎつけたんだから、これはもう柳さんの「勝利」である。実際の作品を読んで面白いと思うか腹を立てるかはまた別の問題。
 ただ、そこまで「作家」に拘るのであれば、「人権無視して何が悪い」と開き直って弾圧食らうくらいのことはしてほしかったな、とも思う。それが、「文学者」だの「作家」だのという人種に余計なステイタスを与え過ぎてきた戦後の思潮に対するカウンターカルチャーになるのではないかと思うからである。
 仮に、『石に泳ぐ魚』が出版停止になったって、これだけネットがオープンになってる社会なら、改訂前の作品が闇に消えて幻になるってことはそうそうないだろう。いずれ「ほとぼりが覚めたころ」に、どこかの誰かがアップしちゃうのではないか。
 でも、その際、柳さんには、せっかく自分の作品がしっかり流通しているのだから、絶対に著作権侵害裁判なんかは起こさないでほしいもんだね(^。^)。
 
 さて、もう一人だけこの本の中から、かつて私の青春の象徴でもあった中島梓(栗本薫)女史について触れておこう。
 今となってはねー、恥ずかしいことなんだけどねー、彼女が『文学の輪郭』やら『ぼくらの時代』で華々しく登場する以前、雑誌『幻影城』で「早稲田のキャピキャピ女子大生がミステリ語ってマース」ってな雰囲気のまあ青い青い文章綴ってたころからのファンだったからねー。ファン歴の長さだけで言うなら、たいていのヒトには負けない。
 そのころの彼女、化粧も今ほど濃くないし、何より痩せておられたし(^_^;)、いや、結構かわいいおネエさまだったのよ。友人に「栗本薫ってかわいいよな」っつったら、「贔屓目でモノ言うな」って言われてたけど。
 でも、初期の小説のいくつかには本気で感心していたのだ。『時の石』には泣かされたし、伊集院大介シリーズ、特に『優しい密室』と『鬼面の研究』は当時の私にとってベスト・ミステリと言ってもいいくらいに感心させられた。

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01月13日(月)
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