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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■妊娠来たかと鸛に問えば/『今日も映画日和』(和田誠・川本三郎・瀬戸川猛資)/『ワイルダーならどうする?』(キャメロン・クロウ)
でも、どうせそういうヤツラは、たいてい自分の知識のなさを棚にあげて、「あなたの話題にしていることは私にとってはどうでもいいことなんです」「結局は主観の相違ですね」とか言って、逃げるんだよな。だったら世の中に「客観描写」なんてものは存在しないってことになるだろう。それは「映画」ばかりでなく、芸術作品、引いては人間自体の否定だ。
そんなヒキコモリの言い訳みたいなモノイイするんだったら、最初から土俵に登ってくるんじゃねえや(`´)。
百歩譲って、その「確信犯だから」って主張を受け入れたってさ、別に確信犯がバカじゃないってことにはならないんだから、やっぱりコメディとしても駄作だとしか言えないんだが。私ゃあれ見て、笑う気にすらなれなかったよ(-_-;)。
じゃあ、そんな映画の見方もわからないシロウトやエセ評論家どもとは一味違う人たち、ということになると、私にとってはこれはもう3人しかいないのである。
荻昌弘、淀川長治(ボケる前)、そしてこの瀬戸川猛資さん(小林信彦や森卓也あたりが次点。あとは十把ひとからげ、水野晴郎やおすぎ、襟川クロなんかは論外である)。
でも三人ともすでに故人。なんか最近、故人の話ばかりしてるなあ(T-T)。
川本三郎さんが、あとがきで瀬戸川さんに対してこう語っている。
「瀬戸川さんは博識だった。ミステリ、SF、映画に関して、実によく知っていた。この三つのジャンルは、子どものころから好きでないと深い知識が得られない。学校での勉強とはわけが違う。大人になってからのにわか知識ではだめだ」
まず、この文章に反発を抱いて、「大人になってミステリやSFや映画を好きになっちゃいかんのか」なんて思う人間は、そもそも大人ではない。いやもうはっきり言って超低級のバカであって、私ゃ口も利きたくないよ。
何歳で何を好きになったって構わないが、そんなことを話題にしてるわけじゃないじゃん。知識や判断力について、子供の頃から読んでる人の方が一日の長があるのは当たり前だって話をしてるんである。たいていこんなこと言ってるやつは、本も読まず、映画も見ず、自分のバカを開き直って肯定するためか、本好き映画好きをからかうためにこんな言い訳をしてるんである。要するに「勉強できないガキが『数学できんとがなんで悪いとや』と叫ぶタワゴト」から一歩も出ちゃいないんである。
瀬戸川さんの『夢想の研究』(創元推理文庫)を未読の方は、ぜひ一読していただきたい。映画一本を見て語るために、どれだけの知識が必要となるか。
本書の内容について語りだすと、これも果てしなく続きそうである。
いやはや、私ごとき浅薄な人間が口を差し挟む余地など本来はないのだが、対談本の唯一の問題は、話の流れで、もっと語ってほしい話題がサラリと流れてしまうことがある点だ。
例えば「スクリーンの中の酒場で会おう」の章で、和田誠さんが「チャップリンの初期の短編で、冒頭で奥さんが喧嘩して出ていってしまう。次のカットでチャップリンの後ろ姿が映って、こう肩を震わせている。誰が見ても泣いてるんですよ。で、カメラが前に回るとカクテルを作っている(笑)」
この映画のタイトルが脚注でも紹介されない。編集者に知識がないと、こういう「穴」が往々にして起こるんである。
答えは『のらくら(“THE IDLE CLASS”)』。私が劇場で見たときには『ゴルフ狂時代』と解題されていた。
普通、「チャップリンの初期短編」という言い方をすると、これはメーベル・ノーマンドあたりと組んでいたキーストン社時代(チャップリンも日本では「アルコール先生」と呼ばれていたころ)や、エッサネイ社時代、せいぜいミューチュアル社時代(エドナ・パーヴィアンスとのコンビが最も多かったころ)までのもの(概ね1914年から1917年)を指す。長さも2巻ものが多く、20分程度が普通だった。従って、1921年、ファーストナショナル社制作で3巻もの32分であるこの『のらくら』は、ちょっと「初期短編」とは言いきれないのである。
和田さんも相当な映画ファンではあるのだが、こういう間違いは淀川長治さんなら絶対に犯さない。これが「一日の長」ってやつなのだな。
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01月11日(土)
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