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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■巨とか貧とか実はさほど気にしてない。ホントよ/『敬虔な幼子』(エドワード・ゴーリー)/ドラマ『時をかける少女』(内田有紀版)ほか
 おかげで芝居の現場ではタブーとなる言葉は極めて少ない。端から見れば「ナニを話しとんじゃ」と言いたいくらいアブない言葉が飛びかったりしてるときもあるが、それが「自由」ということでもあるのである。

 思わず「いいねえ、『ムネなし』なんて言葉でも自由に言い合えて」と呟いたら、ムネなし子は冷ややかに言ったのである。
 「あ、男が言ったら腹立ちます。凸(`、´メ)」
 あ……さいですか(・・;)。
 

 一昨日、博多駅で本を買いこんだばかりだけれど、まだ買い損ねてる本があったので、天神を回る。しげはまた「疲れてるから」と付き合わない。
 やっぱさー、近所の小ぢんまりした本屋じゃなくてさー、フロアーがどど〜っと向こうの壁が見えないくらい続いててさー、そういうとこで本棚をいつまでもいつまでもいつまでもボケ〜っと眺めてるのが好きなんだけど、それはしげも同じだろうとは思うが、ペースがやっぱり微妙に違うんだろうな。ペースを合わせるためにはある程度相手を「忘れる」技術が必要なのだが、不安神経症のしげにはそれが一番苦手である。
 いや、しげだって結構私のことを忘れることはあると思うが、忘れてしまうことが自分が忘れられることに繋がるんじゃないかと思ってしまうのだろう。「忘れたらまた思い出せばいいじゃん」と気持ちを切り替えられればいいんだろうけど、しげがそういった心の修業ができるようになるまで後何年かかるのであろうか。
 福家書店で本、LIMBでDVD。
 LIMBが店内の模様替えをしていて、以前は奥まったところに階段があって、そこにアニメコーナーがあったのだが、フロア全体がフラットになっていて、アニメも棚の1コーナー、という形になっている。もしかして万引き対策か、これ。確かに以前はアニメのコーナーって陰に隠れてて暗かったんで、明るくなったのは改善されたと言っていいのかもしれない。けど、いかにもオタクな連中が狭い空間で肩寄せ合ってた以前の雰囲気も嫌いじゃなかったんだが、店にとっては迷惑だったんだろうな(^o^)。
 旧『刑事コロンボ』DVDシリーズは、今月にて完結。未見の作品も二、三混じっているので、一気に見るのはもったいない。チビチビ見て行こう。


 『プリンセスチュチュ』11.AKT 「ラ・シルフィード」。
 さあ、いよいよ最終回までカウントダウンだ。
 チュチュへの想いが募るみゅうとは、エデルさんから受け取った美しいペンダントをチュチュに贈りたいと思う。しかしそのペンダントにはクレールの呪いが……。
 その事実を知らないまま、あひるは、チュチュに変身してみゅうとの前に現れる。ペンダントをみゅうとがチュチュに手渡した途端、チュチュはペンダントの「呪い」にとらわれ身動きができなくなる。
 クレールはおもむろにみゅうとの胸から「愛する心」を抜きとって……。
 サブタイトルの「シルフィード」ってのは風の精ジルフスのことだけれど(ゲーテや小栗虫太郎読んでるとこっちの名前のほうがピンと来るのよ)、バレエ曲の『ラ・シルフィード』から取ったものだろう。婚約者があるにもかかわらず風の精に恋した少年が、それと知らずにシルフィードに呪いをかけてしまい、彼女を殺してしまうお話。チュチュが呪いをかけられるシチュエーションはそのままだが、その呪いの正体はクレールの「嫉妬」。
 いやあ、怖いわこの設定。「誰かのものになるくらいなら心をなくしてしまったほうがいい」ってクレールのセリフ、恋愛ものにはよくあるセリフだけれど、人形のように戻ってしまったみゅうとを背中から抱きしめながら言ってる姿見てるとマジで怖い。
 って似たようなセリフ、昔誰ぞに言われた気が……ああ、いやいや(^_^;)。
 ともかく来週に注目だ!(なに怖がってるのか)


 エドワード・ゴーリー(柴田元幸訳)『敬虔な幼子(The pious infant)』(河出書房新社・1050円)。
 柴田氏の解説にもある通り、物語は一見、信心深い子供がその信仰活動の末に天に召されたお涙頂戴話のようなのだけれども、どうも一筋縄でいかないというか、そう単純に理解するわけにはいかないような雰囲気が漂っているのは、ゴーリー作品についてはいつもながらのこと。

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10月25日(金)
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