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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■魔性の女/DVD『プカドン交響楽』/『藤子不二雄論』(米沢嘉博)ほか
Hくんに貸してたDVD『ファンタジア2000』におまけ映像として『プカドン交響楽』が付いてたことに初めて気付く。実はこの作品自体、見たの初めてなんですわ。こんな超有名な作品なのになのに。すみません私が悪いんです、石を投げないで下さい。
作画・監督は先日亡くなったばかりのウォード・キンボール。
さすがディズニーの異端児だっただけあって、ほかのディズニー作品と一線を画してるね。どっちかというと、ハンナ=バーベラ、テックス・アヴェリーのナンセンスギャグに近いな。
音楽の誕生を原始時代から辿るという、発想は『漫画大学』みたいなもの(たとえが古くてわかんねーって)。短編なので、あっという魔に終っちゃってやや物足りないが、途中、日本人が琴を鳴らすシーンがアニメートされてるんだけれど、その擬音がカタカナで表示されてるんだがこれが謎の文字で全く読めない。まさか神代文字?(^o^)
アニメ『ヒカルの碁』第四十四局「起死回生」。
ここは原作でも難しいところだったよなあ。
ヒカルがプロになるのは間違いないところだから、和谷はどうしたって負けることが決まっちゃってる。その和谷を簡単に負けないように描くのが大変なんだよな。森下先生と和谷とのやりとりを挿入するのは悪い工夫じゃないけれど、効果は今一つ。
結局、和谷には順当に負けてもらうことにして、どちらかと言うと、ヒカルが佐為と同等の力量を身につけつつある描写の方に力点を置いた描き方になったのは、多少「逃げ」の演出ではあるけれども仕方のないところか。
米沢嘉博『藤子不二雄論 FとAの方程式』(河出書房新社・1890円)。
しげが車の中に持ちこんで、日に焼けちゃったせいですっかり本が歪んでしまってる。本好きのクセに全然本を大事にしないんだよな、こいつ。
文芸評論家の手すさびじゃなくて、独立したマンガ評論家として、マンガを見てきたという意味では、米沢さんはまさしくオーソリティーであると言えると思う。
何と言っても、これまで断片的に書かれたことはあっても、総論としては未だに語られることのなかった、「藤子不二雄論」である。本書に関して言えば、米沢さん以外には書けなかったろうな、と思える記述も多い。
しかしながら、たいへんな労作ではあっても、本書を傑作だと評価しにくいのは、結局、「藤子不二雄とはなんだったのか」という肝心な部分が、霧の中に包まれたままだからだ。米沢さんが「藤子不二雄」を通して語ろうとしていることがなんなのかも、読んでも読んでもいっこうに見えて来ない。
藤子不二雄論、特に藤本弘氏の著作について評論がしにくいのは、その初期作品が現在ほとんど読めない状態にあるからである。かつて「全集」と銘打って刊行された中央公論社の「藤子不二雄ランド」は、301巻を数えながら、『海の王子以前の著作は『UTOPIA』を除いてほとんど収録されなかった。そこには藤本氏の「古い作品はもう今の読者には見せたくない」という強い意志があったという話である。
その姿勢は徹底していて、小学館漫画賞を受賞した『すすめロボケット』や『てぶくろてっちゃん』まで単行本化はされていない。いくら私がトシヨリと言っても、これらの作品が連載されていたのは私が0歳のときであり、読みたくっても読めるものではない。九歳年上で、当然学年誌でそれらのマンガを読んでいたであろう米沢さんが羨ましい。
しかし、デビュー当時からリアルタイムで藤子マンガを追いかけていたであろう米沢さんですら、二人の姿を捉えるのに幾度となく誤謬を犯している。安孫子氏の描線が独特であるのに対し、藤本氏の描線が模写を前提としたアニメ向きの線、などと評しているのはいったいどこに目をつけているのか。数限りなく作られたアニメ作品で、藤本氏の描線を忠実に再現出来たアニメはただの一本もない。藤子プロのアシスタントによって描かれた『ドラえもん』は数多いが、ドラえもんは何とかマネできても、人間キャラになれば全く他人の筆になっていることが歴然としている。単純でありながら模写を拒絶しているのは、まさに藤本氏の線がキャラクターの心理表現であるからだ。
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08月14日(水)
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