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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■本当にあった怖くない話/『くっすん大黒』(町田康)/DVD『ミニパト』ほか
なんだこれは、面白いのか面白くないのか、自分にはすぐさま判断がつくことではないが、面白いと言うてる人間が多いことも知っているし、それは実は『おごってジャンケン隊』で泉谷しげるがそう言っていたと記憶するのであるが、何しろ記憶力にはこのところとんと欠けているのでそれが泉谷しげるであったか、それともそんな記事は全くなくて自分の妄想に過ぎないのか、自信はない。自信はないが町田康自身は『おごってジャンケン隊』に登場しているのである。実はこの人、町田町蔵で、その名前をどこかで聞いたこともあるし俳優としても『黒い家』なんかに出てたということであるから、当然顔は見覚えがあるはずであるが、とんと記憶力に欠けているので見覚えがないのだ。野間文芸新人賞、ドゥマゴ文学賞をこの『くっすん大黒』で受賞したということであるが、ほかにも『きれぎれ』で芥川賞、『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞を受賞しているのである、この町田は。この中で三つは人の名前が冠されているが、耳慣れなくて珍しいのはドゥマゴである。もしかしたらこれも人の名前で、ドゥマゴさんとかいう外国人であるかも知れぬが、そんな名前の人間に会ったことはもちろんないので、デマかもしれない。なぜなら実はドゥマゴとデマとは似ているからである。ではなぜこのような厄介な文体を試み、何が言いたいのかはっきりせぬ、というのも、筒井康隆を読んだ人間が筒井康隆の文体をまねてみたくなるように、町田康の文体はさながら水の如く油の如く、付かず離れずこのような文が長々と書き重ねられ短く切られ、やっぱり批評家もこの文体には魅力を感じるらしく、解説の三浦雅士もこんな厄介な書き方をしているのはそういうわけなのであった。わかったかわからんか。わかれよもう。
普通に戻そう。
『くっすん大黒』とは妙なタイトルだが、なぜか主人公の男の部屋に転がっていた金の大黒、これが泣きそうな顔をしているので、くっすん大黒。この物語は、男がその大黒を見ているだけで腹立たしいので捨てに行く、というだけの話である。舞台が大阪というだけで、明確なストーリーラインはなにもない。
ストーリーが明確にない物語は別に目新しくはないが、映画が映像のみで純粋芸術として成立する如く、小説もまたストーリーやドラマを排した純粋な文体のみで成立し得る。ドラマがない以上、どれだけ読ませられるかってのは、まさに文体技術にかかっている。
そういう文体に関わる実験小説は、筒井康隆編による『実験小説傑作選』に詳しいが、町田康、確実にこの本読んでるね。あるいは石川淳(マンガ家じゃないぞ)。ダラダラと長いのに読点の使い方がうまくて心地よいリズムを生み出す文体は石川さんの特徴だけれど、長文のあと、「というのは」という接続のさせ方をするあたりが町田さんの文章はそっくりだ。これが偶然の一致だとしたら、町田さん、この文体をどうやって創造したのか気になるところである。
アル中の男の一人称、という設定だから、こんなメチャクチャな文体で書いてるのかと思ったらそうではなく、同時収録の『河原のアパラ』の主人公は普通の若者だがやっぱりこんな文体なのである。やはり町田氏、意図的だ。そしてその試みは充分に成功していると思う。
『大黒』にも『アパラ』にも、主人公以上にエキセントリックな人物が登場する。自分の勤める職場の売り物を着服する吉田のおばはんや、外国帰りのおばはん・チャアミイのキャラなどは最強最悪である。
「ぅあたしのビャアーグはどこかしら」なんてチャアミイのセリフ、最初はどういう意味だか全く分らなかった。「ビャアーグ」は「バッグ」のことだったのだ。どこの何人がそんな発音するってんだ。「ゥベッドルームは、まっっっっっっ白なのぉー」と絶叫するチャアミイに主人公はこっそり「医者へ行け、医者へ」と突っ込む(これがシェイクスピアの『ハムレット』の「尼寺へ行け、尼寺へ」のパロディであることに気づいた人間がどれだけいるだろうか。いないだろう。そりゃそうだ、これは私の妄想だし)。
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07月25日(木)
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