ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491718hit]
■叶わぬ願い/DVD『風のように雲のように』/『映画欠席裁判』(町山智浩&柳下毅一郎)ほか
1話はねえ、ほんとにちょっとした言葉の端々、半兵衛が利助の岡本信人を怒鳴る「奴(やっこ)!」って言い方にまで気が配られてていいんだよねえ。なのに、2話になるといきなり「積極的」なんてセリフが出て来て一気に興醒め。
脚本の出来も、1話が人物描写、構成ともに凝っているのに対し、2話はややおざなり。これ、1話の下飯坂菊馬と2話の村尾昭の素養の差だろうね。
後にはもう何人いるんだかってくらい増え続ける仕事人に対し、この『必中』は、半兵衛と政吉の二人だけ。これはシリーズ第一作、『必殺仕掛人』が梅安と西村左内の二人だけだったことへの原典回帰だろう。第一作と同じ緒形拳をキャスティングすることで、シンプルに、人物描写に深みを与えるための措置だと思われる。
それでも1時間は短い。
特に殺し屋としての技術を磨いていたわけではない半兵衛と政吉が仕事人になっていく過程、葛藤が余りに少ない。いくら「晴らせぬ恨みを晴らしてほしい」というおせいの草笛光子の説得に共感を覚えたとしても、義理も縁もない相手頼みを引き受けるには、なんとしても根拠が弱い。一度断るくらいの描写は必要だったろう。できれば二時間くらいのスペシャルでじっくりと見たかったものだ。
定番になってて今更文句つけたってしかたない感じになってるけど、平尾昌晃の音楽、ちょっと軽過ぎないか。
4時すぎ、夕飯に「肉のさかい」まで出かけるが、5時から開店、ということでまだ閉まっている。もう30分ほど待つことも考えたが、しげが早めに帰って、仕事までの間に少しでも寝ておきたいというので、「浜勝」に回る。
味噌カツ定食にとろろと角煮つき。カツには予めタレがかかっているので、自分でゴマダレを作れなかった。あのゴマを擦るのが楽しいのになあ、ちょっと失敗したなあ。
しげはヒレかつ定食なので、ゴマを擦ろうと思えば擦れるのだが、なぜかいつもタレにゴマを入れることを絶対にしない。辛いもの嫌いなくせに、どうしてゴマを入れて味を和らげることをしないのが不思議なんだが、舌や口蓋にゴマがペトペトつくのが嫌いらしい(だから海苔も嫌い)。食べ方にいちいち妙な順位をつけてるよな。
本屋を回るころからしげが「眠い」を連発し始める。
しかたなく、マルショクで買い物をして帰る。
町山智浩&柳下毅一郎『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(洋泉社・1575円)。
批評書の批評をするのも屋上屋を重ねる感じだけれども、漫才形式でふざけてるように見えて、ちゃんと批評になってるからいいよ、これ。しげは「語り口が気に入らない」みたいなこと言って文句つけてるけど、しげは庶民ぶってるけどスノビズムに毒されてるところがあるから、こういう俗に徹した批評には嫌悪感示しちゃうんだろう。
もちろん、この著者の二人だって自分の知識ひけらかしちゃいるから「サロンのバカ」だと言えはするのだが、そのことを自覚した上でボケとツッコミに役割分担して語ってるんだから、これはこれで立派な芸だ。映画語るのにどうしたって背景となる知識に触れないわけはいかないし、そもそもお堅い映画批評からの開放がこの本の目的としてあるんだから、その目的自体に文句つけたってしようがないやな。
要は中身だ。語り口は導入に過ぎない。批評自体が的を射ているかどうかを読まなきゃな。
オビにいきなり「『千と千尋の神隠し』が国民的大ヒットだって? 10歳の少女がソープで働く話だぞ!」には笑ったが、言われてみりゃ、その通り。湯婆婆のキャラ設定に遣手婆が入ってるのは否定のしようもないものな。
映画を見るのは所詮主観の問題だし、大なり小なり誤読は常に生ずる。しかし、例えば『千と千尋』を見た100人の人間が全員、「感動の傑作」と呼んだとしたら、そりゃいくら何でもちゃうやろ、という意見が出てこなければおかしい。ましてや、柳下さんが指摘している通り、宮崎監督自身が「風俗産業の話」と語っているのである。だったら、それに基づいていない批評は全てクズだと言うことにはならんか? あれを見た日本国民の9割が清らかな感動を覚えたとすれば、スタージョンの法則はまさしくここでも合致していると言えるのである。
[5]続きを読む
07月07日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る