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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■理想の正論より現実の暴論/映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』
「……前売券のこと? こないだ買った『スター・ウォーズ』の」
「うん、それ! どこ!?」
「ポケットの中だよ」
「どこの!?」
「背広の! サイフの中! そこに入れたの、オマエも見てたろ?!」
「見てたけど直前に確認しとかんと、不安やん!」
「オマエが自分で自分を不安に追いこんでるだけだろが! ……って、『直前』って何?」
「大急ぎで行けば、『スター・ウォーズ』、間に合うよ!」
「……なら、映画館で待ち合わせしとけばよかったやんか!」
AMCキャナルシティ13にて、映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃(STAR WARS EPISODE 2 ATTACK OF THE CLONS)』。
原題に忠実になってるせいではあるけれど、邦題が長いね。
日本では書誌的・記録的な意味もあって、一度決めた邦題が後で変更されることはなかなかない。だから『スターウォーズ エピソード4 新たなる希望』という映画は存在せず、『スターウォーズ』という映画があるだけなのだが、シリーズ邦題を並べてみるとどうにも座りが悪い。これくらいは過去の作品名を変更したって構わないのではないか。
以前にも日記に書いたような気がしないでもないが、もう忘れているので、改めて邦題のつけ方について書いてみる。
邦題のセンスにも時代による感覚というものがあって、当時は粋に聞こえても、現代ではちょっと、というものもかなりある。
一時期、「邦題は漢字二文字が粋」っていうルールがあったらしく、ジャン・ギャバンの代表作の一つ、“Pepe Le Moko”にも『望郷』というタイトルがついていた。「ペペ・ル・モコ」とは主人公の怪盗の名前なのだけれど、確かにそのまんまだと「『ペペ・ル・モコ』ってなに? 料理の名前?」なんて勘違いされそうだが、だからと言って、この邦題を「なんていいタイトルだ!」と主張するのはどうかな、という気がする。映画を見た人はわかると思うが、ペペの心境を「望郷」の二文字で片付けちゃっていいものか、という疑問が湧いてくるのだ。
ビビアン・リーの『哀愁』だって、原題は“WATERLOO BRIDGE”。「哀愁のなんたら」というタイトルが氾濫してしまった今となっては、オリジナルタイトル通り、『ウォータールー(ワーテルロー)橋』としてもらってたほうが区別がついたのになあ、と思わざるを得ない。
『慕情』になるともっと悲惨で、原題は“LOVE IS A MANY SPLENDORED THING”。「愛とはたくさんのすばらしいこと」じゃ粋じゃないってんなら、どうしてせめて「永遠に輝かしき愛」とかなんとか意訳できなかったものか。この「慕情」って言葉、今や『男はつらいよ 知床慕情』に使われるくらい、そのイメージが落魄してしまった。
一度定着したタイトルをあとで変えることには当然問題が生じる。ただ、その拘りが、「過去の名作の邦題は粋だったから」という主観的なものであってはならないと思う。
上記のものはいずれも、今やとても魅力あるタイトルとは言えなくなっているし、憶測だが、もしもデュビビエ監督が自作の邦題が『望郷』だと知ったら憤慨するのではないか。仮にデュビビエが「邦題を変えろ」と主張したとしても(死んでるけど)、今更あのタイトルを変えることはできないが、内容とかけ離れた邦題がついていることにそもそも問題がある、という認識は持って然るべきではないか。
私は、邦題を今の感覚に合わせてもっとシャレたものにしろ、と言いたいわけではない。物理的な理由で、モノによっては改題を再考してもいいものもあるのではないか、と言いたいのだ。
例えば、マレーネ・ディートリッヒの『情婦』“Witness for the Prosecution”などは、ミステリーであるにもかかわらず、タイトルでトリックの一部がバラされているのである。これなど、リバイバル時からタイトルを『検察側の証人』に変更するよう、ミステリ関係者はどうして映画会社に申し入れなかったのか。今からでも改題を要求してもいいのではないか。これを放置しておく、というのは、ミステリの読み方について「どうでもいいじゃんそんなこと」と蔑んでいるのと変わらないと思うがどうか。
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07月06日(土)
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