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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一)
サイフを取り戻した後、トイレに大至急直行したいしげを先に返して、自宅の近所の「ほっかほっか亭」で、ダブルカツ丼に特製ビーフ弁当、やきそばと、消化に悪そうなものばかり晩飯に買っていく。
しかしこれは別にしげに意地悪しているわけではなくて、うどんみたいなおなかに優しいものは、しげは「食いごたえがない」と言って、断固として食べないのである。買って来ても食べないことがわかりきってるものは、買うだけ無駄なので、こんなこってりしたメニューになってしまうのだ。そのせいでしげの腹の調子が悪化したとしても、そいつは自業自得ってものである。
で、しげのやつ、やっぱりペロリと平らげるし。どこが腹イタなんだってんだよ。
マンガ、TEXT.宮崎克・ART.高岩ヨシヒロ『ふりかえればアイツがいた! 松田優作物語』6巻(完結/秋田書店/ヤングチャンピオンコミックス・590円)。
1989年。
松田優作がこの世を去ってもう、13年になる。
となれば、今時の高校生、大学生は松田優作のことをほとんど知らない。ビデオやBS、CSでチラッと見たことくらいはあるかもしれないが、当然、その「時代の雰囲気」までは掴めるはずもない。
こういう実在人物のマンガ化が、果たして、その人物が生きていた時代までも浮きあがらせることが出来るのか、と言われれば、それはやはり難しいのではないか、としか言いようがない。
昭和40年ごろ、下関は「猥雑なほど活気に満ちていた」だろうか?
昭和30年代をピークに、北九州とその周辺はどんどんさびれていった、というのが福岡から見た場合の実感である。今はレトロ記念館なんか建てて、なんとか持ち直してるけれど、当時そんなに「活気」があったんなら、松田優作がそこを脱出したがった理由が分らないじゃないか。
当時、下関は「死に体」だったのである。
「街は若く、松田も若かった」なんて、某ウールリッチの小説の冒頭をモジられても、「そんな大層な街か、下関が」としか地元民は思わんぞ。「異国情緒」なんて言葉を平気で使ってるけれど、東京人から見たらそうだってだけの話で、そんなの「アメリカ人の見たフジヤマ・ゲイシャの国日本」ってなもので、勝手な思いこみに過ぎない。
松田優作を神格化するための脚色は、かえって松田優作の役者としての価値を減ずることになりはしないか。
『ブラック・レイン』が、本当に松田優作の人生のシメとして相応しい映画だったと言えるのか。「生涯を賭けて創りたいと思う映画があります」と松田優作が医者に告白した映画とは、本当に『ブラック・レイン』のことを指していたのだろうか。
別に松田優作でなくとも、役者なら誰でも自分の命より作品の方を優先する。映画は量より質だ。細く長く生きてたくさんの映画に出るより、渾身の演技を目の前の一本に賭けるほうが普通だ。たとえその映画が『ブラック・レイン』でなく、たいした映画でなかったとしても、同じ言葉を松田優作は語ったように思う。
マンガ、石ノ森章太郎原作・村枝賢一漫画『仮面ライダーSPIRITS』3巻(講談社/マガジンZKC・580円)。
今巻は「ストロンガー」「スカイライダー」「スーパー1」編。
ついに登場、立花藤兵衛に谷源次郎の“二大”おやっさん。村枝さんの絵柄では、小林昭二にも塚本信夫にも似ているとはとても言えないが、キャラクターとしてのエッセンスは伝わってくる。
ただ、谷源次郎はともかく、立花藤兵衛、もう少しキャラとしては「重く」ないかな、とか、ちょっと不満なところもないではない。城茂と岬ユリ子の悲しい別れを経て、戦士をサポートし続けることに「懲りた」と言わせる演出、往年の仮面ライダーファンから見れば、やや納得しかねる設定ではなかろうか。
確かに、『ストロンガー』を最後に、立花藤兵衛は仮面ライダーシリーズに登場しなくなった。しかし、それは戦いに「懲りた」からだろうか? 「スカイライダー」と「スーパー1」のときも、実は他のライダーたちとどこかで戦っていたのではないか。そう考えることのほうがごく自然だと思うんだがなあ。
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06月25日(火)
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