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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』
 >「UFO信者は、信じない人をすべて『否定派』と括ってしまう。しかし実際に議論してるのは『信者』『否定派』『懐疑派』の3種であろう。この意味で僕自身は『押井懐疑派』だと思う。押井作品の素晴らしい部分を褒め称えるにはやぶさかではないけど、だからといってダメな部分までも『確信犯だから』とイイワケしてやる気にはなれない。

 ああ、私も「押井さんのアレは『確信犯』だから」と擁護することあるなあ(^_^;)。
 例えば、いつものあの「もしかしたら、今、私がここにいる現実の世界は現実の世界ではないのかもしれない」というヤツだけどね。一度や二度ならともかくも毎回に近いからねえ。「しつけ〜ぞ」という声が出てくるのも判る。
 ただ、ここで考えておかなきゃならないことは、批評するにあたっては二つの立場があり、批評者自身、自分がどちらの立場でモノを語っているのか、ハッキリと自覚しておかねばならない、ということだ。
 一つは、自分に確固とした思想信条があり、その視点で対象を批評する立場。
 もう一つは、自分の思想はともかく、作者の意図を分析して、その意図通りに作品が成立しているかを批評する立場。
 どちらが批評として有効性を持つかというのは一概には言いきれない。
 しかし大事なことは、片方の立場のみで対象を判断すれば、それは明らかに「方手落ち」な批評になってしまうということだ。
 前者のみの立場でものを見ると、極端な話、「私はアニメが嫌いだから全てのアニメを否定します」「私はSFなんてクダラナイと思うから」「私はミステリなんてツマラナイと思うから」なんて偏見が「批評」として成り立ってしまう。
 後者のみだと、ヒトラーの『わが闘争』なんかも全面肯定しなければならなくなる。文章の論理性、という点でのみ評価すれば、あれも「名著」と評価しなけりゃならなくなるからねえ。
 特に前者の批評方法は、まずもって作者の心には響くものではない。
 「そりゃアンタは自分の見方でモノを言ってんだろうけど、俺には俺の見方があるんだから」で一蹴されてしまう。押井さんが同じような作品ばかり続けていること自体を批判したって、屁とも感じられはしないのだ(誰かスタッフが「また犬か鳥を出すんでしょ」って言ったら怒ってたそうだが)。
 私は、押井さんが「似たような」モチーフばかりを使ってはいても、その表現効果については『うる星2』のころと『アヴァロン』とでは格段に上達してるなあと思ってるので、全く気にはならないんだけども。岡田さんの言う「ダメ」な部分には多分に前者の見方に偏ってる気がするな。

 >「映画作家としてみれば、僕にとっての押井守は『バランスが悪いけど才能が凄いので、そんな欠点は無視できる』というあたりだろうか。才能、というのはケレンみのある、ハッタリのきいた絵を作らせればおそらく世界一、という部分だ。ハリウッドの監督たちがインスパイアされるのもムリはない。とにかく『圧倒的にカッコいい!』のが押井作品の特徴だ。
 バランスの悪さ、というのは、たとえば音響設計のセンスが悪いというところ。『攻殻機動隊』のタイトル見たときは笑った。超精密機械であるはずのアンドロイド組み立てシーンで、鳴るSEが『シャキーン』『ガシャコーン』だもんなぁ。」

 「ケレンみのある、ハッタリのきいた絵」というのがどのあたりを指してのモノイイか分らないから、「世界一」と言われても、逆に「そりゃどうかな?」という疑問が湧く。
 映像作家は基本的にみんなそういう絵を作ろうとしてるんだからねえ。バスター・キートンは? オーソン・ウェルズは? スタンリー・キューブリックは? フランソワ・トリュフォーは? 黒澤明は?(キリがないからやめよう)そういう人たちは「ハッタリの利いた絵」を作ってきてはいないの? それともこれは「現役作家」に限定されてのモノイイ?
 それなら、ジャン・リュック・ゴダールは? リュック・ベッソンは? 宮崎駿は? 

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06月07日(金)
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