ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491720hit]
■マクド&マクド/『濃爆おたく先生』2巻(徳光康之)/『韃靼タイフーン』4巻(安彦良和)ほか
私なんぞは比較的おとなしめなオタクで、映画を見るのと同じようにアニメや特撮も時々見る、程度のものなので、ディープなオタクな方々の前ではシュンとしてるしかないのだが、徳光さんの前にでも出ればただただ話の聞き役に回るしかなかろう。
一応、一年戦争に間にあった世代ではあるが、私は『ガンダム』を本放送で見たことは数話しかない。高校生当時、私の周囲の熱狂的『ガンダム』ファンと来たら、放課後になった途端に大声でシャアシャアとなにをヘビの鳴きマネしとんじゃと突っ込みたくなるようなミーハー連中が多くて、つい『ガンダム』の価値を見くびっていたのである。安彦良和のキャラも、私は『クムクム』のほのぼの路線が好きだったので、リアルに見せかけたあのデザインは安彦さんらしくないと思っていてハマれなかった。
何より、当時の私は往年の東映動画をこそ最上のアニメ、と考えていたので、森康二や大塚康生が『ガンダム』を「手抜きアニメ」と批判していた手前、『ガンダム』批判派に回らざるをえなかったのである。今思えばホントに若かったんだなあ。
今はもちろんそこまで偏狭な考え方はしていないのだが、やはり自分を省みて『ガンダム』オタクとは言いがたいと思う。まずもって、『ガンダム』のドラマやキャラクターには興味があっても、モビルスーツには全く魅力を感じていないからである(だもんでウチには怪獣の食玩フィギュアはあるがモビルスーツの類は1個もない)。
そういうわけで、「ジオンいかに勝つべきか」の妄想キャラ、キュウシ・ユウダンジのパッションも私はどこか覚めた目で見てしまう。1巻のころは島本和彦的な怒涛の叫びがおもしろくはあったのだが、2巻まで読んで、どうやら作者がいささかマジらしい、と知った時点で、パロディとしての中途半端さにも気づいてしまったのである。
つーか、アレはハズしてるよなあ。
本編にないウラ設定を妄想するのは、オタクとして決して間違っちゃいない。しかしそれはあくまでパスティーシュ(贋作)としての性格を持つものでなければ、作品として成立はしない。つまり、元々のガンダムの世界観自体は崩しちゃなんないのである。
そこに「キュウシ・ユウダンジ」はないよな。『ガンダム』に『奇面組』混ぜてどうする(-_-;)。
いや、アレはあくまでギャグであってパスティーシュじゃありませんと言うなら、所詮あの「おたく先生」はオタクじゃなくてただのおふざけキャラでしかない、ということにしかならない。
そこに島本和彦との才能の差が見える。ヘンに理に勝ち過ぎてる分、島本和彦の「いいや、これもアリ!」と理屈を無視してねじ伏せるパワーが、徳光さんにはないのだ。リアルに妄想するなら、もちっと本気で読者が「ウン、その通り!」と納得するような設定を考えてくれないとねえ。でなきゃもっとバカになんなきゃ。ドリル番長くらいじゃまだまだありきたり。
それにやっぱりザクレロで連邦には勝てないでしょ(^_^;)。
マンガ、安彦良和『韃靼タイフーン』4巻(完結/メディアファクトリー・540円)。
え? これで終わり?
話が殆ど展開しないままで終わったって感じだなあ。
わざわざアナスタシアのクローンまで作っておきながら、アルクスニス、殆ど利用しきれないで終わっちゃったじゃん。タイフーンだって、あの無駄な扱い方は何? 言ってみりゃ最終兵器なわけじゃん、実際には核ミサイルをぶっ放せないとしても、成層圏まで持ってって自爆させるくらいのケレンは見せてくれてもよかったんじゃないか。
結局、悪役としてはアルクスニスがコツブ過ぎたってことが物語的に敗因の一つになってるんだよなあ。設定がリアルなのに、肝心の敵をあんな誇大妄想狂と言うか、チンピラレベルのキャラにしちゃ、ギャグにしかならないよ。
だいたい第2部に入って、いくらかつての記憶を失ったからと言っても、主人公がこんなに目立たなくなっちゃっていいのか。第1部であれだけ世界観みっちり作っといて、なんであっさりと放り出しちゃうんだよ。全てにおいて中途半端だ。
『ガンダム』にかかるために中断したのか、人気がなくて打ち切られたのか、どっちにしろ「構想半ば」だったんだろうなあ。
[5]続きを読む
05月26日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る