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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■もっとギャグを!/『蛇神さまといっしょ』2巻(桑田乃梨子)ほか

 仕事帰りに買い物。
 私はもうカネがないので、しげに全部任したら、コンニャクばかり買ってくる。しかも形だけは丸いのや薄いのや塊になってるやつとかバラエティ。でも所詮はコンニャク。
 「なんでコンニャクばっか買うんだよ」
 「好きだから」
 ……と言いつつ、買ってきたのにまるで食べようとしないのはどうしてだ。
 ダイエットするつもりで買ったけど、やっぱり肉食ったほうがいいと思いなおしたものなのか。謎だ。


 アニメ『名探偵コナン』、久しぶりに見てたら、例の外人の先生のお話。
 平次が英語を喋れないフリしたり、先生が日本語下手なフリしたりってのをお互いに見破るってくだりがあるけど、声優の演技がヘタなので、どちらもトリックとして成立していない(^_^;)。
 外人の先生が下手な日本語使ってるって言っても、日本人声優がワザトラしいカタコト英語使ってるだけじゃん。しかもそれを見破られた途端、いきなりスラスラと日本語喋り出すんだけど、母国語が英語圏の人間なら、どんなに流暢に喋れるといっても、必ずナマリは残るって。こういう場合は、声優にホントの外人ほ使うんでなきゃウソである。それができないんだったら、トリックそのものを変更するくらいはしてほしいもんだね。
 人気が続いてるからと言って、視聴者をナメて来てないか、アニメのスタッフ。


 池田香代子再話、C・ダグラス・ラミス対訳『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス・880円)。
 今頃こんな本読んじゃってスミマセン(^_^;)。
 もちろん読み物として楽しむつもりは全くなくて、フォークロアがこのような形を持った経過に興味があったのである。
 提示されている数値に相当誤謬があるのではないか、という批判が結構あったようだが(伝達過程で起きたものもあったろうが、一応、出版に際して訂正できるものは訂正したとか)、フォークロアに正確さを求めても余り意味はないだろう。
 ただでさえ、ヒトは自分の望む解答をこそ真実と思いたがる。とりわけ、こういう統計上の「数値」というもの提示されると、いかにもそれが冷静かつ客観的な「事実」を表している、と思いこみがちだ。しかしそれはやはり大いなる錯覚であると明言せねばなるまい。
 「え? そんなこと言われたって、実際、世界中の男女の比率はこの通りなんじゃないの?」と反論される方はおられよう。……いえね、私は別にこの数値が間違ってると言いたいわけではないし、実際、殆ど正しくはあるんだろうと思いますよ。
 けどね、その数値を受け取る側には必ず「主観」があるってことも「事実」なんで、そのことを忘れちゃいけないって言いたいわけ。特にこの数値は、まるで「伝言ゲーム」のように、殆ど検索されないままに主観から主観へと伝えられていったものだってこと、そのことは充分注意しなきゃならない。

 この数値には、確実に伝達者たちの「願望」が込められている。
 例えば、本書の解説によれば(実際、本文よりこの解説の方が圧倒的に面白い)、「同性愛者の数の比較」なんてのは、元々の文章にはなく、伝達の過程で加えられていったものだという。そこには「世界にはこんなに多くの同性愛者がいるのですよ、そういう人たちに対して偏見を持たないで」という「伝達していく過程での誰か」の願いが透けて見える。つまり、「数の多さ=存在意義」という「意味」をデータの受け取り手に喚起させる作用が働いているんである。
 他にも、クリスチャンが案外少ないことや無神論者が結構多いことなど、数値化されて初めて認識させられた読者も多いのではないか。
 けれど再三繰り返すように、たとえその数値が事実であったとしても、そこから読み取られる「意味」には、本来受け取り手の主観に従って相当な振幅があってしかるべきなのに、実際には伝達者たちの「願望」によって、ある程度の「シバリ」が掛けられていることに注意しなければならないということなのである。
 多分、気がついている人は多いと思うが、これは「集団の総意」に基づく「マインドコントロール=洗脳」であるのだ。

 怖いことに、この「洗脳」には宗教における教祖のような「実態」が存在しない。

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05月20日(月)
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