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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「かろのうろん」ってわかる?/『博多学』(岩中祥史)ほか……“NEW”!
 しげ、夜中にいきなり、「二度と帰ってこんよ」と言って出て行く。
 眠かったのでそのまま無視して寝る。
 明日も晴れるといいな。


 岩中祥史『博多学』(新潮社・1575円)。
 『大坂学』『東京学』『名古屋学』と続く「都市学シリーズ」の第6弾。
 あえて博多出身者でない人間に、その土地のことを書かせるという企画、なかなか面白い。
 ただでさえ唯我独尊が信条みたいな博多人にオクニ自慢をさせると、もう鼻もちならないものになるという判断からかもしれないが、なるほど、筆者は意外と気づいてないかもしれないが、博多人にしてみれば耳にイタイところもあって、だからこそ「客観的」だなあ、と思わせる。
 「福岡は、東京など比べものにならないほど歴史の古い都市である。“新参者”の東京に大きな顔をされてたまるか! くらいの気概は、多くの人が持っているに違いない(もっとも、そのわりにはミニ東京化しているきらいはあるのだが)」なんて文章、博多人には書けんもんね。
 博多人に書かせちゃうとね、例えば長谷川法世のマンガみたいに「博多」らしさを強調しすぎて、かえって現実離れしたものになっちゃうんだよな(ついでに言っておけば、博多人に「九州男児」って自覚はないから。博多の人間は博多出身ってだけで充分なので、ことさら「九州」は主張しないのよ)。
 表紙のうえやまとちのマンガも、博多人が「アポまってきた(うんこしてきた)」とか言ってるとこ描いてるけど、イマドキそんな言葉使ってる博多人はもういないよ。

 「福岡」と「博多」が違うってことくらいは、博多人自身、アイデンティティの一端になっているから主張はする。けれど、ロシアがかつて、世界の全ての八間、発明を自国の産物と喧伝していたように、突出したナショナリズムは、「博多にあるものはすべてイチバン!」という妄想を作り上げる。例えば食べ物について、博多人は「全ての食は博多に通ず」って思ってるとこあるしね。筆者は、博多が食事どころであることを認めつつも、忌憚のない意見を書いてくれてるのが嬉しい。
 若い博多人(これはまあ、五十歳以下ですかね)は、「博多んラーメンはとんこつやなかと(でないと)」とか言ってるヤツ多いけど、博多ラーメンの代表のように言われている「一風堂」のラーメンが、もともとは博多ラーメンの味ではなく、開発の末にできたものであることや、土産物の定番、明太子のルーツが韓国であることなど、キチンと書いてくれているのだ。
 で、殆ど唯一と言ってもいい博多の味「おきゅうと」については「こんなものか」って貶してるのな(^_^;)。
 威張っちゃいけない。博多はいろんなとこからの文化の流入で「味」を作り上げていったって過程があるのだ。それに伝統で言えば博多人はラーメンはキライで、うどん(博多弁では「うろん」)の方を好むのが「正しい」んだよ。

 全体的に筆者の批評眼は信用できるのだけれど、やはり細かいミスはあちこちにある。例えば、長谷川町子の出身を福岡、と書いてるのは間違い。
 あの人は佐賀県多久市の出身。博多に引っ越してきて、そこで「福岡日日新聞(今の西日本新聞)」に『サザエさん』を連載し始めたのだ。だから厳密に言えば、「サザエさん一家」が博多人なのね。
 だからあの人たちが東京弁を喋るのは本来おかしいのである。
 本当のサザエさんは、こう会話しなきゃならない。

 サザエ「カツオ! またアンタは、なして宿題もせんと、あすびに行きようとね!?」
 カツオ「ねえちゃん、違うばい。中島ンとこで一緒に宿題ばしようて約束しとったっちゃん」
 ワカメ「あ、にいちゃんまた、ウソつきよう! 中島さん、さっきバットとグローブ持って、グラウンドに行きよったとに」
 カツオ「な、なんば言いよっとや! ぞうたんのごと!」
 サザエ「あんたまたすらごと言うて、姉ちゃんば騙しよったとやね!? 今度という今度はねえちゃんも腹かいたけんね! こっち来んしゃい!」
 カツオ「あ! ねえちゃん! あすこに魚ばくわえたドラネコが!」
 サザエ「あいた! ほんなこつ! 待たんね! こんドラネコが!」
 カツオ「……ふう、往生したばい」


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03月13日(水)
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