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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■福岡デパート事情/映画『吸血鬼ハンターD』(1985)/『20世紀少年』8巻(浦沢直樹)ほか
 岩田屋が敗退したことを口惜しいとは思わない。下手に岩田屋に百貨店業界の一党独裁みたいなことをやらかしてもらっても困るからだ。けれど福岡の人間たちが選んだその「目」が確かなものかどうか、そこに疑義を差し挟む必要はあるのではないか。
 不況だろうがなんだろうが、使うときにはパアアッと散財するところが多い福岡の人間である。そんな気質だからこそ、目先のイメージにまんまと乗せられて高い買い物させられてるところはあるんじゃないのか。
 インケツな商売人にとってはオイシすぎる購買層になっちゃってるぞ、きっと。

 庶民なもので、お高く止まった岩田屋の思い出はそう多くない(まだつぶれてないって)。
 両親が友の会に入っていたので、会員観劇コースとやらで、両親の時間が取れないときは代わりに芝居を見に行ったことはある。
 ちょうど市川右太右衛門の『旗本退屈男』で、生前の右太衛門丈のあの豪快な笑いをナマで聞けたのは(オトシを召しててちょっとカスレてたけど)嬉しかった。
 経営陣が伊勢丹に代わっても、観劇コースでいいのやってくれたら入ってもいいかな(やっぱ移り気じゃん)。
 

 さて、今日は仕事でちょっと泣くことがあった。
 しかも人前でだ。
 つらい涙ではない。
 嬉し涙ではある。
 ただ、自らを「泣く」方向にあえて持っていったことは事実だ。
 曲がりなりにも役者のハシクレであるこの身にしてみれば、涙を流すことくらい、演技の基本だ。感情を高ぶらせればできないことではない。
 では、ここで流した涙が「ウソ」であるかと言えばそうではないのだ。
 「ウソ」をつきながら泣くことなんてできはしない。
 実際、私はそのとき本気で嬉しくて、そして口惜しくもあって、それで泣いたのだ。感動の涙であるには違いない。
 ただ。
 「ここで泣かねばならない」と判断したもう一人の自分がここにいる。
 その「自分」が別の「自分」に「泣けよ」と指示を出した。それゆえにこの涙は紛れもなく「打算」の上に流された涙であると言える。
 詐欺働いてんなあ、と思う。
 実際、ウチの職場、詐欺師の集団だし。
 ただ、彼ら同僚と私の違いは、私が自分が詐欺師であると自覚を持っているのに対して、彼らが全くの無自覚で詐欺を働いているということである。
 ……どっちが罪深いか即断はし難いが、私は彼らが羨ましくはある。
 なぜって、彼らは少なくとも自分に「心」があると信じていられるから。
 自分が善人であるという錯覚の中に無意識のうちに浸っていられるから。
 私のように、自分自身の苦悩すらも「演技」であると自覚している人間に、果たして「心」というものがあると言えるだろうか。……ああ、こんなこと考えてるから「押井守のしっぽ」と言われる(誰が言ったんだ。それは私です)。
 

 なんだかんだで今日は半ドン。
 しげに人前で泣いた話をしたら「ケチ」と言われる。
 「なんでケチなんだよ」
 「私には涙を見せてくれん」
 「映画見てるときなんか結構泣いてるよ、オレ」
 「映画見てるときはオレも映画見てるじゃん。アンタの方見てる暇ないよ」
 「だから泣けるんだけどな」
 「ホラ見てん。やっぱし、隠しとるやん」
 「なんでそんなに見たがるんだよ」
 「日頃見せんもの、見たいやん。たまにはサービスしてくれたっていいのに」
 「……サービスで涙を見せるんか。『ほーら今日はサービスだ、今から泣くからね〜」って言って涙見せるんか。……アホか」
 「やっぱケチやん」

 なんだかんだ言いあって、結局私が悪かったことになったらしい。
 お詫びにスシをおごることにする。
 回転寿司のくせにくそ高い、でもネタは極上の『すし大臣』。
 特別メニューとやらで「カニの味噌汁」のチラシが貼ってあったので注文。……なるほど、身をケチらずに使ってあって、味噌汁の味にカニが負けていない。味噌汁の味のあと、舌にカニの風味が残って美味い。
 今日はできるだけ安いネタを食おうと、中トロ、大トロ、イクラにウニも見逃す。一番たかいネタでサーモントロの400円ほど。なんとか五千円以内に抑えようと必死である。

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03月01日(金)
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