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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■オタクのハマリ道/アニメ『七人のナナ』第3話/『山本弘のハマリもの』(山本弘)ほか
ということはだ。このシリーズ、ミステリーとしてどうのこうのってことじゃなく、やっぱりキャラクターの掛け合いでドラマを作っていこうって趣向なんだな。本格ミステリって、地味で映像化には向かないから、こういったアレンジについては、あまり文句はつけられまい。……そう言えば、ピーター・ユスティノフの映画版ポアロシリーズも、後半、どんどんコメディ化して行ったな。
『ミューズ街の殺人』
「ミューズ」って、てっきり“Muse”(ギリシャ神話の学芸の女神たち。『ガンダム』に「ムサイ」って巡洋艦が出てきたけど、あれはこれのこと)のことかと思ってたけど、“mews”(厩舎)のことだそうな。……そんな単語、そのへんの英和辞典にゃ全然載ってないぞ。
この話のポイントは何と言っても「ポワロのゴルフ」だろうな。
「大陸ではならしたものです」って、そんなすぐバレるウソをポワロがつくとも思えないけれど。見事にポワロの打ったボールはスライスしてどこかに行っちゃったのであった。
今回のトリックはもう、ミステリーでは使い古された「左利き」もの。
被害者が右利きだったか左利きだったかってのが推理のポイントになるのだけれど、今やそういうトリックが提出された時点で、ネタはバレてしまうので、やはり往年の古典を現在映像化することは、なかなか難しい。
ネットを検索してみると、このテレビシリーズ、必ずしも好評を博してばかりじゃないようだが、もはやクリスティーだって充分「古い」んである。多少、ハメを外したようなコメディ演出があっても仕方ないんじゃないか……という気になってきちゃったよ、私も。
山本弘『山本弘のハマリもの』(洋泉社・1365円)。
ご一緒に同人誌まで作ったと言うのに、まだ山本センセイとは面識がない(夏コミ行きたかったな)。
もっとも中年オヤジがわざわざ会いに行ったところで喜ばれるわけでもなし、ネット上だけでの知り合い、というのはよくあることである。AIQのみなさんとお知り合いになれたのも、エロの冒険者さんからお誘いがあったからなわけで、そうでなければ、今でも私はぼうっとネットサーフィンしてるだけで、そのうち飽きてこうして日記を書き続けることもなくなっていたかもしれない。
まさしく、縁は異なものである(例えがちと違うな)。生きる活力というものは人から与えられるものである。
「ハマりもの」というものも人から与えられた活力なんだろう。
子供のころはみんな娯楽が少なかったから、友だちも含めてみんな同じものにハマっていた。マンガ、アニメ、特撮、怪獣、etc、etc……。
逆に言えば、みんなが同じものにハマっていたから、わざわざ自分たちの知識を確認するための作業をする必要もなかったと言える。
バイブルは大伴昌司の本だけで充分だった。
けれど、今やわれわれの世界はたくさんの「オタク」たちで占められるようになった。今でも覚えているが、初めてAIQの会合に参加した日のこと、「あなたはどちらの方面に詳しいんですか?」と聞かれて返事に窮したことがある。
自分が何かに詳しい、あるいはどちらの方面の趣味がある、ということについて、深く考えたことなどなかったからだ。大学のゼミで児童文学を専攻してはいたが、これとて、専門家というほどではない。……自分に得意な分野などあるのか? AIQのみなさんの濃い濃いオタク話を聞くにつけ、「自分はオタクじゃないなあ」という気がしたのも事実である。
この日記の中で自ら「オタク」と名乗っているのは、もっぱら「私はオタクでない」という言葉が一般においては差別的に使われる場合が多いので、肩書きを背負うのに吝かではない姿勢を示すためのものである。
濃い薄いで言えば、私はまだまだ薄いヤツで、原稿が書き溜まらず、未だに自分のホームページを立ち上げられないでいる。
もっとも、こういうことを言うと、たいてい人から慰められたり叱られたりするんだよなあ。「充分スゴイですよ」とか、「謙遜したフリだけしやがって」とか。前者はよしひと嬢で、後者はしげだったりする(^_^;)。
オタクは基本的に「知識」ではない。
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01月24日(木)
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