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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■カメラ小僧にご用心/DVD『エコエコアザラク』/『ななか6/17』5巻(八神健)ほか
 真実、製作者が差別に対して怒りを覚えていたなら、この結末では決してカジモドの心の傷が癒されるものではないことに気づいただろう。カジモドはエスメラルダと愛し合えてこそ、幸福になれたはずなのである。
 だから逆に言えるのである。ディズニーはカジモドを人間として認めてなんかいないのだと。……だって、冒頭に描かれてたように、彼は所詮、「異教徒」なんだから。
 正直な話、見ていてむかついた。こんな馬鹿げた、唾棄すべき映画はない。ディズニーの語る「愛」は歪みに歪みきっているのだ。


 口直しに加藤夏季でも見ようと(^o^)、DVD『エコエコアザラク』見る。
 『ステーシー』の前に公開された、加藤夏季初主演作品だが、映画的な仕上がりは圧倒的に『エコエコ』のほうが上である。……ああ、けど、それって単に「比較すれば」ってことね。『ステーシー』がそれだけひどいってことなんで、『エコエコ』が「傑作」って言いたいわけじゃないのよ。

 加藤夏季が演じるのは、当然、主役である黒井ミサ。
 彼女が初めて「魔女」として目覚めるまでを描く、というのが今回の映像化のコンセプトだが、もちろんそんなのは原作にはない。
 第一、原作じゃミサの両親、ちゃんと今もいるし。
 この映画のように「覚醒」しつつあるミサのせいで両親が死に至る、なんて話にしちゃ、『エコエコ』らしくないんだよなあ。どこかホラーだけれどユーモラスな部分があったのもマンガの『エコエコ』の魅力だったんだから。
 それに、レイプされそうになったことがミサの魔力が覚醒したきっかけ、という設定も安易だよ。……『サルまん』の「イヤボーンの法則」そのまんまじゃんか。だから原作じゃ、そういうやつらを凝らしめるのはもうミサが魔力を自在に操れるようになった後ならいくらでも出てくる設定なんだよ。映画が原作から離れて、オリジナルでやりたかったんならやりたかったで、も少し頭ひねった設定は出て来なかったものか。
 それにさあ、世間がみんな「ミサが犯人か?」と疑ってるとき、未だ完全な覚醒に至らないミサが「私が殺したの……?」って涙ぐんでんだけど、見てるこちらは「そうだよお前が犯人だよ」って知ってるわけだから、同情のしようがないんだってば(-_-;)。
 脚本、『星空のむこうの国』の小林弘利じゃん。ああ、一人よがりなファンタジーばかり書いてるからこんなザツな脚本書いちゃうことになるんだな。

 けれどまあ、加藤夏季が恍惚の眼差しで虚空を見つめながら「エコエコアザラク……」と呟いてるのを見ると、やっぱ、思わずゾクっとしちゃうっスよ。
 十有五歳にして、ここまで妖艶な美をたたえる「魔」の魅力を表現しているとは、恐るべし加藤夏季。原作の古賀新一が、これだけ帳尻のあってない脚本なのに、加藤夏季を見て「ミサだ!」と言ったのも納得である。少なくとも鼻炎声の佐伯日菜子よりは遥かにミサらしい。……ああ、いや、佐伯日菜子のミサもそれはそれで嫌いじゃないけどね(何を弁解しているのかな)。
 それを引きたてる脇役陣に、光石研や蛍雪次朗ら、芸達者を揃えているのもいい演出だ。加藤夏季ファン以外にも、一応この映画は楽しめますよ、とは言っておこう。


 『サイボーグ009』第13話「倫敦(ロンドン)の霧」。
 話は「ほぼ」オリジナル。
 ……だって、007=グレート・ブリテンが、かつて自分が捨てた女の娘と出会う話なんだもの。日曜7時台になんちゅー生々しさか(^_^;)。
 タイトルの『ロンドンの霧』ってのは、グレートがかつて役者だった時代に最も得意としていた演目のこと。ところがその上演を前にして、グレートは、大劇場からのオファーというサクセスと引き替えに、同じ劇団員で恋人でもあったソフィーの前から立ち去ったのだ。
 ……あの、それはいいんですけど、グレートの恋人の名前、原作じゃオリビアなんですけど。細かいようだけど、一応オリジナルな展開で行くとしても、そういう基本設定そのものは大事にしてほしいんだけどね。004=アルベルト・ハインリヒの恋人がヒルダじゃなくてハンナとかアンネローゼだったりしたらファンは許さんでしょうに。

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01月13日(日)
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