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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■先陣争い雪隠の役/『雪の峠・剣の舞』(岩明均)ほか
けれどCGなんか影も形もなかった時代、あの王蟲の蛇腹の動き(担当したのは『エヴァ』の庵野秀明である)に、観客が(それこそオタク非オタクに限らず)歓声をあげたことは記録しておかなきゃいかんだろう。実際、アニメ技術に歓声が起きるなんて経験、そうそうあるこっちゃないのだ(この『ナウシカ』が公開された1984年には、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の友引高校内の合わせ鏡のシーンでやはり歓声が起きた。多分こんな年は二度とない)。
『ナウシカ』のウラだったので見られなかったWOWOW『スケバン刑事』、ビデオ録画して見る。
『スケバン刑事』三部作の中では一番人気が高かった2代目麻宮サキこと五代陽子の南野陽子だけれど、今見返すと、やっぱり表情作るのが精一杯で、アクションはまるで腰が入ってないなあ。
走るときも両手上げて女の子走りしてるし、演技指導する気が演出に全くないのが丸わかり。「演技」がなけりゃ、どんなに素材がよくたって役者は光らない。これじゃ当時、南野陽子が「日本一セーラー服が似合う美少女」と呼ばれてたことなんて、誰も信じないだろうな。
ほぼ間違いないと思うんだが、テレビシリーズで鉄仮面着けてたときのキレのいいアクションは、吹替えだったんだろう。
マンガ、岩明均『雪の峠・剣の舞』(講談社・714円)。
『風子のいる店』のころは地味な印象しかなく、あれだけヒットした『寄生獣』もそれほどにはハマらなかった。
必ずしも下手な絵ではない。表現力がないわけでもない。
いや、日常の中に潜む何かがふと表に現れて、非日常に変化する「空気」をコマの中に表す技術には確かに長けているとは思うのだ。
けれど、絵に「華」がない。なのに、『寄生獣』を見ていると、どうもこの作者、自分の表現したいものと自分の絵柄とのギャップにあまり気づいてないんじゃないか、という気がしてならなかったのだ。
しかし、今回の作者初の歴史作品というこの二本。
ハマっている。
それなりに面白い作品はいくらでもあるが、再読、再々読に堪えるものなど滅多にない。それがこの作品、作者の地味な線、地味な演出が「堅実」さとなって、ひとコマひとコマの人物の表情、思いが読む者の心を打つ。一昨年読んだ漆原友紀の『蟲師』以来の感激だ(これも新刊が出んな)。
『雪の峠』。
関ケ原の戦いで西軍についた佐竹家は、敗戦後その責を取らされ、常陸から出羽に移封された。この後は、何をするにも徳川家の意向を汲んで行動せねばならない。
藩主、佐竹義宣は、新たな居城を定めるにあたって、腹心渋江内膳と謀り、「窪田」を領府とする旨を、家臣たちに徹底させようとした。
しかし、関ケ原で義宣が西軍につくよう決定したことを遺恨に思い、更には下賎の出身たる渋江内膳の台頭を許すまいとする旧家臣たちは、もと上杉謙信の家臣であった客分、梶原美濃守を立てて、「横手」の地を推す。
戦さのない「平和」にあっての新たなる戦さ、内府家康をも動かす知略と権謀のせめぎあいが、内膳と美濃守の間で繰り広げられる。
まずは、この渋江内膳の、線目で締りのない口もとの、一見凡庸としたキャラ、それと対照的に半白髪、美髯に老練さを漂わせる梶原美濃守との丁丁発止ぶり、そのキャラ設定が、史実に取材しているリアリティを更に弥増しているのが見事である。
というか、ほんの脇キャラに至るまで、その他大勢的な無駄なキャラがほとんどいないのだ。これは稀有と言っていい。
豪放磊落な川井伊勢守。狸親爺な和田安房守。若く実直な梅津半右衛門。多少腑抜けたかつての戦国武将、先代佐竹義重。酷薄な威厳を示し妖鬼と化した、回想の中の上杉謙信。
そして、静けさと穏やかさをたたえつつも、最後に藩主としての厳格さ(あるいは残忍さ)を示す、当代佐竹義宣。
ああ、まるで一編の映画を見ているようだ。
これはもう、具体的にオチは書かないでおくので、ぜひとも読んでもらいたい。歴史を物語として描くとは、こういうことだと示した最上の実例である。
『剣の舞』。
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01月11日(金)
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