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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■夢の宮崎で盆踊り/『伊賀の影丸/邪鬼秘帖の巻(下)』(横山光輝)ほか
しげが哀願するような目をして、「ねえ、GOODAY(←近所のホームセンター)に寄っていい?」
と聞いてくる。
しげがこういう甘えるような目をしたときには大抵高い買い物をしたがっているのだが、案の定、目的はパソコンデスク。
ぴんでんさんからパソコンを譲ってもらうことになっているので、先に机だけ買っとこうってんである。
そりゃ構わんのだが、さっきのウルウル眼は、つまり私に運んでくれと言うわけだな?
だから、私ゃ具合が悪いんだっちゅーとんのに(-_-;)。
実際、手に力が入らないので、しげに「そこの端を持って」と言われても、たいした役に立たない。ほうほうの体で二人して部屋の中に運びこむ。
「組みたてはまた明日にでもしてくれ」と頼んでぶっ倒れる。
早いとこカラダが回復してくれないと、しげにこき使われ殺されるな(T.T)。
マンガ、西岸良平『タイム・スクーター』(双葉社・300円)。
今や手に入りにくい西岸氏のSF短編を復刻してくれるこのシリーズ、ありがたいことはありがたいのだが、初出を一切書いてくれないのがなんとも隔靴掻痒である。
なにしろ絵柄があまり変わってない人だから、これらの短編が果たして70年代に書かれたのか90年代に書かれたのか、それすらも区別がつかないのだ。
「宇宙戦艦ムサシ」なんてギャグが出てくるところを見ると、70年代後半かなあとも思うのだが(80年代に入るともう恥ずかしくてパロれんだろう)。
まあ、そういうちょっと外したギャグはともかく、西岸さんの『三丁目の夕日』などで見せているノスタルジーが、実は現実の社会への絶望に裏打ちされているものだということが、これらの短編から見て取れるのだ。
『キリコ』なんか、超能力少女が精神病者扱いされて閉じ込められているなんて身もフタもない設定から始まっているが、特筆すべきは彼女の見る幻影だ。『夕日』シリーズだって、時々「悪夢」がモチーフに使われるが、ここに描かれる「幻覚」のイメージは、ひたすら血みどろで、残虐の一言に尽きる。
許せてないんだろうなあ。
西岸さんには、現代がやはり、虚飾に彩られた醜い世界にしか見えていないのだ。だから時折発表する短編には、その「幻影性」を象徴するような表現が多々現れる。
それはいささか平板な表現で、多少説教くさくはあるけれど、西岸作品を「現実を否定したノスタルジー」だと思いこんでいる人には、ちょっと冷水を浴びせかけるような効果を挙げていると思うんである。
マンガ、横山光輝『伊賀の影丸/邪鬼秘帖の巻(下)』(秋田書店・300円)。
影丸たち公儀隠密、秋月藩乗っ取りを企む黒木彈正に雇われた阿魔野邪鬼たち辻斬り浪人と、忍者軍団土蜘蛛党、三つ巴の戦いも終局。
そりゃ最終的に勝つのは影丸ってことはわかりきってるし、ヒーローってのはたいてい性格が真っ直ぐ過ぎて、イマイチ個性がないんだが、それを補ってあまりあるほどに他のキャラクターたち、死んでいく浪人や敵忍者に個性があるのがもう楽しくて仕方がない。
以前、横山光輝キャラ総出演の『ジャイアント・ロボ』というアニメシリーズが作られていたが、『鉄人28号』『魔法使いサリー』『仮面の忍者赤影』『バビル2世』『マーズ』『闇の土鬼』『水許伝』『三国志』などなどから、たくさんのキャラクターを持ち出してきていたのに、なぜかこの『伊賀の影丸』だけは無視されていた(マンガ版にはひとコマだけ出演)。
巻数から言えば『三国志』『鉄人28号』に継ぐ代表作なのにどうしてこれだけオミットしたんだか。
誰もが指摘しているように、横山さんのキャラクター造型の魅力は徹底的なパターン描写にある。表情、ポーズともに、この場面でこういう感情のときにはこんなアングルでこう描いて、というのが全て決まっているのだ。
そういうマンネリでありながらツマラナクならないのは、ドラマのツボを横山さんが抑えているせいだろう。「ここで邪気が『フフフ』と不敵に笑いながら出てくるぞ」という期待感、これは歌舞伎を見るのと同じ感覚だ。
古臭い手法かもしれないが、こういうケレン味を今の漫画が忘れがちであることも指摘しておく必要、あるんじゃないかな。
12月11日(火)
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