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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか
「好美のぼる」については、唐沢さんが前書きで「曙出版の怪奇シリーズの大看板作家」と紹介しているが、実際、作品点数から行けば、手塚治虫に並ぶほどの大量生産をしていたのではないか。
にもかかわらず、私は好美作品を子供のころ殆ど読んではいない。
信じて頂けないかもしれないが、私は子供のころ、ムチャクチャ怖がりだったのである。だから怪奇もの、ホラーものの名作と言われるものでも、マンガファンを標榜しているわりには、案外読んではいない。
いや、読もうとは何度もしたのだ。
ところが読んでるうちに駄目になる。怖くなって途中を飛ばして結末だけを見る。あるいは結末も見ずに放っておく。
多分、私が小学生のころ読めた怪奇モノは、楳図かずおの『猫目小僧』ぐらいのものであったろう(あれは一生懸命「これは妖怪モノで怪奇モノじゃない」とココロに言い聞かせて読んだ)。
そんなんだから、未だに私ゃ楳図かずおの『黒いねこ面』も『ヘビ少女』も『赤んぼう少女』も読んじゃいないし、日野日出士の作品集も1冊として買わなかったし、ましてやズラリと並んでた好美さんのホラーシリーズだって、その黒々とした背表紙と気持ち悪いタイトルロゴだけで圧倒されちゃってて、手に取ってみようともしなかったのだ。
それが、今、こうやって読めるようになっている。
それどころか、読んで笑っている。
いや、これはスゴい変化だ。
恐怖と笑いは紙一重というが、その“紙一重を遊ぶ見方”を教えてくれた唐沢さんの紹介の仕方には、異論を持たれてる方もあろうが、素直に感謝したいのである。
と言いながら、唐沢さん、この作品集に関しては、『まんがの逆襲』などで使っていた、欄外にツッコミを書きこむ手法を一切排除している(これは80年代の少女マンガから始まった欄外書きこみブームのパロディにもなってて好きだったんだが)。
そんなツッコミ(言わば解説)は不要との判断からだろう。実際、表題の『生命線』を読んでると、なにも言われなくてもツッコミ入れたくなる描写が続出である。
無実の罪を着せられて自殺した息子の復讐を図る母親の物語って設定は、別に珍しくもなんともないが(和田慎二あたりがしょっちゅうやってた)、その方法として“人間の手相を切り刻んで運命を変える”ってのを思いついたってことがもう、尋常じゃない。
感情線を切られた実直な刑事がいきなり笑い出して「おめでとう!」なんて言うかフツー。おまえは碇シンジか。
頭脳線を切られた検事は、当然アホになる。「ここはどこですかァ 天国ですか!? 地獄ですか!? ヒハヒハー」。アホになるのはいいけど、この「ヒハヒハー」って笑い声はなんなんだよ。思わずあとに「パパパヤー」と続けたくなっちゃうぞ。
太陽線を切られた医者は、金の計算ができなくなって、無料で患者の治療をするようになる。……って、別に助手雇えば金は取れると思うけど。
いや、こういう設定やセリフのいい加減さもさることながら、脱力するのはやはり好美さんの絵である。怖がらせようと思って演出過剰になり笑っちゃうというのは、こないだ見た映画『陰陽師』の鬼のシーンでもそうだったんだけど、いくら手相が変わったからって、工事中のビルの鉄ワクの上で踊るなよ。
このへんは江戸川乱歩の『踊る一寸法師』とかのイメージを絵にしてるのかなあ。でもあれは文章だからいいんで、絵にすりゃホント、バカバカしくなっちゃうんだけど。
『死のハンドバック』は絵的に楳図かずおを相当意識している。
多分、出版社から、「楳図さんの絵で」と頼まれたせいだろうなあ。
好美さんに対する作家としての扱いがどの程度のものだったか、この一事をもってしても見当はつくのだが、それは決して好美さんにとって不名誉なことではあるまい。
山中恒のウケウリになっちゃうけど、大衆作家には大衆作家として、読み捨てられるくらいの通俗的な面白さを追求していく使命のようなものがあるんである。そしてその価値を読者だって、ちゃんと認識してかなきゃならない。
妙な選民意識持ってマンガを評価しちゃいかんよなあ、と思うんである。「名作」ばっか読んでるやつにそんなのが多いのは、経験上、よく知ってるし。
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11月26日(月)
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