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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■野だいこ敬語/『源氏物語』第壱巻「桐壷」(江川達也)ほか
警察がソープに不介入なのも、以前とは意味合いがはっきりと違っている。警察はソープの真実を「公然と」認定した上で、その存在を認めていることになっているのだ。言わば、社会全体が「共犯化した」結果が「ソープランド」というコトバの意味合いなのだ。まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。……これ、戦前までの公娼制度より悪いんだよ、状況的には。
「コトバ」の意図的な改変がどんな結果を生むか、の一例である。
いや、ソープの話がしたいわけじゃなくて(第一、この話は大学時代の某友人のウケウリである)。
この「敬語」が「敬意表現」に変更されたのには、1987年に発表されたブラウンとレビンソンの「ポライトネス理論」(直訳すれば「丁寧理論」)が影響を与えている。
言語社会心理学者の宇佐美まゆみさんによれば、このポライトネス理論というのは、「相手を思いやり、配慮することによって、相手とよい関係を築き、保つための言語行動の『普遍原理』を示すもの」だそうな。
日本人は短絡的に「相手を思いやること」=「敬語を使うこと」と考えがちだが、もちろん、「思いやり」が「敬語」に限定できるものではない。だからこそ、審議会は「敬語」という表現を避けたわけだが、これがかえってポライトネス理論の「普遍性」をあいまいにしてしまっている、と宇佐美さんは主張するのである。
結局そこには「敬語」だろうと「敬意表現」だろうと、「敬意がなければ人を思いやることはできない」という強固な思いこみが残ったままだからだ。
当たり前の話だが、タメ口きいてたって、そこに思いやりが介在することはある。
ポライトネス理論の肝心なところは、「何をすれば相手を思いやったことになるのかは、それぞれの文化によって異なる。しかし、それらの言語行動を引き起こす動因は普遍的だ」という点にある、と宇佐美さんは説明する。
「ポライトネス」とか難しい言い方をするから、審議会のようなアタマのお弱い人たちにはなんのことだか解りにくくなっちゃってるのだなあ、こんな自明のことをわざわざコトバにするのはそれこそ気が引けちゃうのだが、要するに「かたちじゃないよ、心だよ」ってことではないかね。
「敬語」が日本語から消えるんじゃないか、とかバカなことを言ってるやつが多いが、そんなもん消えたって構わない、いや「敬意」そのものが消えたって、日常生活で困ることなんかなにもないってことに気づいてないのかねえ。
これまでにも日本語から消えた敬語は腐るほどある。
「たまふ」「奉る」「仕る」「奏す」「のたまふ」「まかる」「おはす」……。学校のオベンキョで習ったこれら古典の敬語、こんなんはこの千年の間に、きれいサッパリ日本語から消えた。
……で、我々日本人は千年前より野蛮でみっともなくてくだんなくて下劣であほんだらになったのかね。
「敬語を若い世代に教えよう」というのは実は言葉を教えようとしているのではなくて、「このコトバを使うことによって、一定の人間関係を共有するシステムを伝授しよう」としているのである。結果的に、そこに心が通っているか通っていないかを判別することは極めて困難になってるのだが、その事実にすら審議会の連中は気付いていない。
そういうやつらには、徹底的に「敬意を尽くして」、バカ丁寧なコトバで応対してやるといいのだ。
「課長! おはようございます。今日のお召し物は一段と素晴らしくていらっしゃいますね。色と言い、デザインと言い、とても下賎のものでは考えつかない斬新さに満ちていらっしゃいます。お側に控えておりますだけで、自分の身が恥ずかしくなるほどでございます。どちらでオーダーされたのでございますか? え? レディーメイドでいらっしゃる。それはそれは、ご趣味のよい専門店をご存知でいらっしゃいますね。え? デパート? いや、今時のデパートもなかなか流行の最先端を追求しているものですね。数あるファッションの中でもそこまで我々下々の者には思いもつかぬハイソサエティなセンスの品をお選びになるとは、さすが、課長もお目が高い」
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10月22日(月)
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