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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■虚構としての自分/『マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(米沢嘉博監修)
ここまで物語を引いてるってことは、早期の連載完結はまずないのだろうけれど、だとするとこれからもなんとかヒカルに囲碁を続けさせなきゃならないわけだ。
それこそ『あしたのジョー』パターンで行くならきっかけはたいてい「強力なライバル」の出現ってんだろうけれど、それも芸のない話だなあ。
やたら陽気でラテンな碁打ちとか、傭兵経験があって、地獄を見てきた碁打ちとか、ジャングルで育てられた野性の碁打ちとか(^o^)、そんなんが出てきたら笑うけど。
今週号のラストでいかにもな感じで伊角さんが再登場したけど、ヒカルを碁の世界に引き戻すキャラとしてはちょっと弱いんじゃないか。でもアキラはまだ成長しきれてないしなあ。
もうこうなったら本因坊秀策を転生させるしかないんじゃないか。
唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に、「公開日記」についての記述があった。
以前、私もこの日記に書いたことだが、この「公開日記」という形式に、こんなに書きがいを覚えることになろうとは我ながら予想もしなかったことなのだ。
「自分の日記を人に見せびらかすなんて、自己顕示欲の表れじゃないか」としたり顔に批判する人はいるが、そんなことは指摘されるまでのことでもない。
……書き手自身が一番よくわかっとるわい( ̄へ ̄)。
自意識の塊みたいなやつだからこそ、自分の悪筆がガマンできずに、若いころは日記を書き続けられなかったんだい。
実際、現代のようにネット環境が予め用意されていて、かつ自筆で書く必要がない、という条件が揃っていなかったら、私自身、1年以上も日記を続けていられていたかどうか、わからない。
入院中、久しぶりに自筆で日記を書いていると、昔の羞恥心がまざまざと蘇えってきて、自分のヘタクソな字を見るのがとことん苦痛になってしまった。初めのころはそれでもノートに何ページも書いていたものが、退院間近の最後の数日なんか、メモ書き程度しかできなくなってしまったのである。
「ああ、もしこれが全部自筆のままで残るんだったら、途中でやめちゃってたろうなあ」とつくづく思った。
作家の高村薫さんも「ワープロなかりせば」と何かのエッセイに書いていたから、これは悪筆にコンプレックスを抱くものの共通の感覚なのだろう。
他の方々の日記を覗いてみても、「投票してくださいね」と書かれてあるものが多いのは、やはり「自分の書いているものを面白がっている人がいてほしい」という願望の現れであろう。
その気持ちはわかるのだが、読者にそんな期待をしてしまうのは、日記を書く上ではやはりマイナスになってしまうのではないか。
……ちょっと説明がややこしくなるが、「読者とのつながり」を必要以上に強くしようとすることは、畢竟、せっかく作り上げた「書き手」としての自分の存在を危うくし、「生の自分」を曝け出してしまうことになりかねないのではなかろうか。
何度となくこの日記に書いていることだが、この日記での私は、現実の私とは微妙に人格が異なっている。別にこれはウソをついているということではなくて、「日記を書き続けるための人格」を仮構しているのである。
例えば、素顔の私は、さびしんぼうで傷つきやすい繊細な感受性の持ち主なのだが(コラ、そこで笑ってるのは誰だ)、もちろん、そんなヤワな神経で日記を書き続けられるはずもないので、この日記上においては、ゴーマンかつ無責任な人格に自分自身を設定している。
パソコン通信どころか、『あしながおじさん』や『ポケット一杯の幸福』の昔から、手紙など顔が見えない間柄では、自分の姿形や性別、立場などを偽ることはある意味ごく自然に行われていたのだ。
男なのに女のフリ、またその逆もあり。みなさんは私のことを今までの文章からオタクな中年オヤジだと思ってるかもしれないが、もしかしたらそんなのは全部ウソで、可憐な女子高生かもしれないのだぞ。
……って、誰が信じるかい。
ξ^▽〆 おーっほっほっほっ。
でも、冗談ではなく、私のことを「本当は女の人じゃないですか?」なんて聞いてきた人も過去にはいたのよ。全く、「なして?」と疑問符が頭の上を飛び交っちゃいますよねえ。
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09月04日(火)
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