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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ)
『クレヨンしんちゃん』は別にシリアスな話に変わってしまったわけではない。やっぱり今回も今までと同じく、「おバカが世界を救う」物語だったのだ。
映画が終わって、しばらく立ちあがれなかった。二度見て、一度目以上に泣いた経験は生まれて初めてである。もう迷いはしない。私の最高のフェイバレット・アニメは文句なくこの『オトナ帝国』だ。
今回も私が泣いたので、しげが喜ぶこと喜ぶこと。
映画館の隣の「SATY」で、オムライスをぱくつきながらも、いつもはさほど映画の感想を聞こうともしないくせにやたらと「どうだった、どうだった?」と聞いてくる。
ちくしょう、また泣かせようとしてやがるな。どうもこうもねーや。
俺はお前と出会えてよかったよ。お前と一緒にこれからも生きていけるのが嬉しいよ。あの映画見ながら、そんなことを考えていたんだ。でも、そんな気恥ずかしいセリフ、お前を目の前にして言えるか。
ここで書いたからいいだろう。直接、俺の口から言わせようなんて思うな、バカタレが。
連日オタアミ会議室を覗いているが、そろそろ一通りの感想は出尽くした感がある。実のところ、肯定派、否定派も含めて、私の予想をはるかに越えた意見が現われなかったことにホッとしている。
その映画が認知、評価されるためにはとにもかくにも話題にならなければならない。しかし、いつぞやの『エヴァ』論争のように、「『エヴァ』を認めない者はアニメファンではない!」と言い切るようなファナティックなやつらが現われるようになると、その作品は正当に評価されなくなってしまう。
薄いカルトは作品を世間に認知させる推進力となるが、濃いカルトは、作品の評価を地に落とすのだ。
一見、感情的なやりとりに見えながら、『オトナ帝国』ツリーはごく冷静にそのテーマについての語り合いが続いていた。本当にこの映画が『ホルス』や、『カリ城』や、『うる星2』のように、カルトとなり得るかどうかはまだまだ未知数だが、その下地を作るお手伝いはできたように思う。
ということで、私としては最後のつもりで、今日の日記に書いたようなことを書きこみ。
ツリーを最初に起こしてから、都合、7回くらい書いたかな?
でも4つのツリーで80近く書き込みがあったから、まあ10分の1、このくらいのはしゃぎぶりなら、会議室のみなさんに対して、そう迷惑にもなっていまい。
レナード・ニモイ(富永和子訳)『私はスポック』読む。
これは凄い。
自伝の類というものは、たいてい我田引水的な自慢話になるか、露悪的なスキャンダル本になるか、どっちかである。いずれにせよ、書き手の意図とは裏腹に、その伝記の作品的評価などは無視されて、ゴシップについての興味から読まれてしまうことが圧倒的に多い。
実際、「作品として」読むに値する自伝など数少ないのだ。
ましてや『スター・トレック』については、これまで数々の「ウワサ」が流されてきた。Mr.スポック役のレナード・ニモイとカーク船長役のウィリアム・シャトナーの確執などは、ある意味「常識」でさえあった。
しかし、この自伝、冒頭から度肝を抜いてくれる。なんと、「スポックからニモイに宛てた手紙」で「物語」が始まるのだ。
それからもニモイは随所でスポックと対話しつつ、自らの軌跡を客観的に捉えようとする。これはまさしく演劇における「狂言回し」の手法である。
映画『チャーリー』がこれと似たような手法を取っていた。ある俳優の回想を、記録者が質問を繰り返す形で誘導していく。ともすれば、自己弁護的になる俳優の言葉を、記録者は冷徹に問い質し、道を作っていく。ああ、そうか、これのルーツは『ハリウッド大通り』だ。
そう、これは一篇の「小説」だ。
『スター・トレック』サーガのスタッフ、キャストたちとの関わり自体をサーガとした、「創作」なのである。
エピソードの一つも紹介しないのは不親切かもしれないが、どれを選んでよいやら判らないくらい、笑える話のオンパレードなのである。
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05月12日(土)
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