ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491769hit]
■四月バカ/『ブンカザツロン』(唐沢俊一・鶴岡法斎)ほか
唐沢俊一・鶴岡法斎『ブンカザツロン』読む。これについても書きだしゃキリがないくらい面白い。ちょっと誤植が多いのが気になるけど(「森繁久也」って誰だよ)。
オタク第一世代と第二世代、という分割の仕方が正しいかどうかは疑問もあるのだが、自分がやはりオタク創世記のケツっぺたにいたのだなあ、ということは確認出来る。女房が鶴岡さんと同い年なので、お二人の会話がちょぅど私と女房の会話にシンクロしてくるのである。おかげで女房が私のどこが好きでどこが嫌いかも見えてくるってのがどうもね(^_^;)。
「オタクは『道』より『術』」、つまりはテーマよりメソッドってところには共感してるんだろうけど、実際には唐沢さんも「道」的なことは結構語られているのである。私も似たようなもんで、気がつくと女房への言葉に説教が混じる。黙ってりゃこれで女房にも尊敬されるんだろうになあ。
「道」を志向しちゃう人間ってのは結局、自分がバカに見られたくないと思ってるだけのバカなのだ。
「バカ」どうしの雑論、と作者たちが語っているように、どの時代だって、世の中を本当に動かしているのはひと握りの天才ではなく衆愚である。自分が衆愚であることを自覚したところからしか時代は見えて来ない。ただ、時代の見えないバカも多いことは多いんで(見えなくってもいいんだけどね)、その点、「いいバカ」と「悪いバカ」が世の中にはいる、という鶴岡さんの指摘には共感できる。もちろん「いいバカ」というのが「オタク」を差すことは言うまでもない。
一言で言ってしまえば「オタク術」ってのは「考現学」であるわけで、データの収集それ自体に意味があると考えているようなものだ。私がこうやって日記に愚にもつかないことを書いているのも、この2001年の日本人の生き方の一例を世に残すことの意義を思うからに他ならない。存在することにのみ意味はあり、あとの理屈は勝手についてくるってのが、3歳以降の私の人生哲学である(大げさな)。テーマがどうとか、ビジョンがどうとかはあまり考えていないのである。たかが一素人の日記ではないか。
この日記を読んでくださる方々から、過分なお褒め(あるいは批判)を頂くことは多いが、書いてる本人はバカやってる、という自覚しか持っちゃいないのです。現代においては、こういった形で他人に関わろうとすること自体、バカ以外のなにものでもないってことでしてね。だから「凄いですねえ」とか「読みがいがあります」とかいう言葉よりも、出来れば「それ、違うんじゃない?」と言っていただける方が、バカたる私には嬉しいのですが。
なんだかんだでちょっと長目になっちゃったな。一日分のネタって、たとえ寝て過ごしてたって、書き出せばいくらでもあるものなのだ。面白い文章になってるかどうかはともかくとして、芝居をやろうって人間がネタの一つも思い出せないというのは情けない、という意識があるのである。
だから劇団のホームページに書きこみが出来なくなったのはマジで悔しい。ああ、早くホトボリが冷めんかな。そしたらこっちの方はウラ日記にしてもっと濃い話が出来るんだけど。
04月01日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る