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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■藤村俊二はよかったけれど/舞台『ラ・テラス』ほか
原因は脚本ではない。役者と演出だ。役者はセリフを覚えて喋ってるだけで、役をまるでつかんでいない。女房が辛辣にも「みんな所詮小劇場あがりじゃん」と言ってのけたが、実際、その通りだ。
脚本を頭の中で反芻し、別の演出プランを構築してみて、これが上質の不条理劇であるということに気づいた。不条理劇を演じる役者が何に気をつけねばならないかというと、自分の立っている位置が、実は現実とずれたところにあることを意識しなければならないということだ。それができなきゃ、そこで何が行われているのか、客に伝わりはしないのだ。
離婚寸前の夫婦の部屋にやってくる謎の訪問者たち、不動産屋の女、傍若無人な中年男、若い色男のスケコマシ、ボケた将軍とその若い妻の織り成す群像劇。……って、私も似たような芝居以前書いてたな。
端的に言って、不条理劇がハッピーエンドになることは絶対にないのね。彼らは殆ど最後にはこの「テラス」を去って行くのだけれど、妙な余韻を残そうとする演出は、脚本家も役者もホンが読めていないことの証拠だ。ラストは、脚本では残された二人が「時間はたっぷりある」なんてセリフを未だにはきつづけている不気味なムードで終わってるのに、なぜか演出はほのぼのムード。何を考えているのだ?
翻訳劇を日本の舞台に移すのは本来不可能に近い。『屋根の上のバイオリン弾き』がおもしろかったのは、森繁久彌が無理にテヴィエを演じようとせず、あくまで「森繁久弥」を押しとおしたからで、それくらいの開き直りがなきゃ舞台は映えない。カリエールの『小間使の日記』を昔、吉行和子の一人芝居で見たことがあったけど、これも役を自分のものにしきれていない、つまらない芝居だった。
今回の舞台で唯一よかったのは藤村俊二の「将軍」である。藤村さんは少しも無理をしていない。そこにいるのが紛れもなく藤村俊二であるために、カリエールはどこかにすっ飛んじゃってるんだけど、それでいいのだ(ほかの人たちは自分が演じられるはずもない役を演じようとして失敗している)。滑って倒れてソファーでそのまま寝てしまうベタなギャグで笑いをとるって、芸がないと出来ないよ。やはり鍛えられてた芸人さんは強いよなあ。
今回の芝居、昔の友達も出てるんで悪口あまり言いたくないんだけど、もっといい役者で見たかったなあ。
ロイヤルホストで四人で食事。
塩浦さん、大学の単位を二つも落としたとかで、しばらく劇団の役者は無理のよう。これからは小倉に行ったっきり、アパート住まいでDVDもパソコンもない生活になりそうだとか。でも学生はいつだって時間はあっても貧乏なものである。貧乏の中でしかつかめないものもあるし(なんなんだ)まああまり道を踏み外さないようにしてもらいたいものである(^^)。就職はまだ3年先、しばらくはウチの劇団も戦力が落ちることになりそうだが、それはそれでなんとかしていくしかないな。
03月31日(土)
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