ID:104863
G*R
by K・カヲル
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■雲の向こうの遠雷が呟きさえも掻き消すから 4
 隊首会から二週間経った日の終業後、七緒が十番隊を尋ねてきた。
 仕事外のことで七緒が尋ねてくることは珍しく、日番谷は乱菊に一言、「もういいから、あがれ」と言った。七緒が日番谷に深く頭を下げるその横で、乱菊は軽く、
「ありがとうございます、隊長。明日のお茶菓子も買ってきますね」
と笑って礼をする。日番谷は素っ気なく、
「山鳩屋のサブレ」
とだけ言った。
「はあい。じゃ、失礼しまぁす」
 乱菊はひらひらと手を振って扉を閉めた。そして七緒を振り返ると、七緒は神妙そうな顔をしている。
「やあね、なんて顔してんのよ」
 乱菊は明るく言って七緒の顔を覗き込む。七緒は苦笑して、
「ごめんなさい。ちょっと、お話したいことがありまして」
と小さく言った。
 笑ってみせる七緒の眼は真面目で、乱菊はその眼を真っ直ぐに見つめて微笑む。
「了解。ただ、最初に山鳩屋に寄らせてもらうわよ」
 乱菊はそっと七緒の背を押した。七緒は音もなく歩き出し、ずれた眼鏡の位置をすっと直す。
「それではその後、近いことですし藤宮庭にでも行って、花菖蒲でも見ましょうか」
「あらやだ、なら今夜はカップ酒?」
「大人の特権ですから」
 からかうようににやりと眼を細めた乱菊に、七緒はしれっと答える。そして乱菊を見上げると、同じような眼をして笑った。
 十番隊の廊下を二人で笑いながら歩く。隊員が頭を下げて擦れ違っていく。

 藤宮庭は旧藤宮家の庭を開放したものだ。
 藤宮家は百年以上も前に途絶え、管理する者の消えた広大な屋敷と庭は、公共が取り上げて一般に開放している。屋敷の一部は庭と共に今も残り、花見や祭りなどのときに利用されている。
 山鳩屋の紙袋を手に提げて藤宮庭に入った頃には、もう宵闇が庭園を覆い隠そうとしていた。通路の小さな石灯籠に火が灯され、等間隔で足下の闇を照らしている。乱菊と七緒は照らされて暗い橙色に染まった白い小石が敷き詰められた通路を、石の鳴る硬い音をさせながら歩いている。
「東の池よね。花菖蒲が沢山咲いているの」
 片手に紙袋、片手に小さな徳利を持った乱菊が七緒を振り返る。
「はい。あそこは灯籠もありますから、花が照らされているはずです」
 片手に猪口二つが入った袋、片手には乾き物の入った袋を持っている七緒が真面目な顔で話す。
「先日、見に行ったときには花菖蒲が咲き始めていました。見頃だと思います」
「先客がいないといいわね」
「そうですね」
 闇をも照らすような華やいだ声で話しながら、二人は角を曲がる。視界が開ける。
 星空を映した池が広がっていた。
 池の周囲には背丈のある灯籠がぽつん、ぽつんと離れて並び、池にはゆらゆらと炎の影が揺れている。その灯りに照らされて、乱立した花菖蒲の紫色が妖しく浮かび上がっていた。上にも下にも星が輝き、宙に花菖蒲が咲き誇っている。
 人気のないその光景に乱菊は足を踏み入れる。風のない、静かな夜が始まろうとしていた。
「……あたし達で独り占めのようよ」
 乱菊が囁くように言った。池の周囲に置かれている御影石の長椅子は静かに冷たくそこにあった。二人が座ると、ひやりとした冷たさが磨かれた表面から伝わってくる。
 お互いの間に容器と乾き物の袋を置いて、上下の感覚が崩れそうな目の前の風景を眺める。
「贅沢ですね」
 正面に顔を向けたまま、七緒が呟いた。
「そうね」
 乱菊も囁くように答える。そして七緒に顔を向けて、ひょいと袋から猪口を取り出してみせた。乱菊は艶やかに微笑みを向ける。七緒もまた笑みを浮かべ、猪口を手に取った。乱菊がもう片方の手で徳利を持ち上げ、七緒の猪口に傾ける。透明な酒がとろりと注がれ、ぷんと辛めの酒の香りがした。
 七緒の猪口が満たされると、乱菊は手酌で自分の猪口に酒を注ぐ。縁ぎりぎりのところで注ぐのを止めると、徳利の中でたぽんと酒が揺れた。徳利を置いて、二人で猪口を掲げる。
「そんなわけで」
「お仕事お疲れ様でした」
 猪口の酒を一息で飲み干し、乱菊は勢いよく息を吐いた。
「っあー、美味しい」
 七緒が呆れた眼を向ける。
「……若い女性なんですから、それはちょっと」

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07月11日(火)
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