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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「母性」


大変興味深くて、すごく面白かったです。原作は「イヤミス」の巨匠・湊かなえ。詩人の伊藤比呂美が、「子にとって、母親は滋養にも毒にもなる」と記述していて、感慨深く共感しましたが、滋養と毒の先には何があるか?も描いています。善き言葉として語られる「母性」をモチーフとして、家庭に閉じ込められた女性の悲哀を描いて秀逸です。監督は廣木隆一。

ルミ子(戸田恵梨香)は、非の打ちどころがない母(大地真央)に大切に育てられたお嬢様。通う絵画教室の展覧会で、母が褒めた絵を描いた今の夫(三浦誠己)と結婚します。娘の清佳(少女時代から永野芽郁)にも恵まれますが、訳合って今は、夫の実家で姑(高畑淳子)と義妹(山下リオ)と共に暮らしています。清佳は、自分に辛く当たる母から、愛情を乞う事を切に願っていました。

ルミ子の母は、頻繁に結婚した娘宅に出入りするのが気になりますが、他は至って素敵なお母さん。与える愛に恵まれた人で、包容力豊かで、常に愛ある言葉で娘を肯定し、惜しみない愛情を注ぎます。そして美しくハイカラ。げっぷが出そうな程、子供に滋養を与えるとどうなるか?ルミ子の自己肯定感は最高。母の言う通りの人生を歩めば間違いはなく、自分の思考を停止。母を溺愛、依存するようになります。女性のマザコンですね。一見、仲の良い母娘に見えるだけなので、男性のマザコンよりたちが悪い。

何故ルミ子の母は、こんなにも娘に愛情を注げるのか?どうも夫はずっと前に亡くなっているようです。実母は、夫の分まで娘に愛情を注いだたのじゃないかな?娘が結婚後も、ルミ子の夫への気遣いも形だけで、その様子は変化なし。手出しして、見守る事が出来ない。これがルミ子が娘→母へ移行できなかった、一番の要因です。娘でいる方が幸せの価値観を植え付けた実母は、滋養が過ぎて毒となったのだと思う。

姑はルミ子に対して嫁いびりが酷い。諸悪の権化のように見えますが、私はこのお母さんが一番解り易かったです。体が辛く動けないルミ子に「私は40度の熱があったって、畑仕事したよ!」と、怒鳴りつける。ルミ子が家事一切に畑仕事を無償でこなしても、労いも感謝もなく、毎日罵声を浴びせる。これ多分、自分の姑にされた事ですよ。夫もDV・モラ気質と後述され、ルミ子の夫である息子は、学生運動へ家庭から現実逃避。娘であるリツ子だけが、姑の味方だったのだと思う。だからリツ子の自立を妨げ、ずっと自分の手元に置きたかったんだね。

私の母が、過分にこの傾向のあった人で、リツ子の気持ちはよく理解できました。 


さて、自分に依存する毒がいっぱいの母親を持つとどうなるか?一周回って娘の自立を促すのです。清佳に向けたリツ子の言葉は、姑→ルミ子→清佳の魔のトライアングルを、じっと見つめていたと言う事です。これを理解出来るのは、リツ子自身が、母との間に苦悩や葛藤を抱えていたのだと、私は理解しました。

普通なら、娘が自分を庇い、姑に意見してくれる事は、涙が出るくらい嬉しいはず。でもルミ子は、「私のして欲しい事は、そんな事じゃない!」と、娘を責めます。姑に認めて貰う事、これがルミ子の今の命題だから。でもそこに愛も情も誠も無い。何故なら、夫も娘も愛していないから。ただひたすらに、姑であっても、母と言う幻想にすがりついている。でもね、姑は母親じゃないんだよ。

夫は夫で、娘に愛情を見せない妻と、母の愛を乞う娘を持て余す。ルミ子自身への愛ではなく、「深窓のお嬢様育ち」と言う、がさつで田舎臭い自分の家庭にはない、ルミ子の背景に憧れがあったのでは?ルミ子の母が結婚を認めたのも、家の格的にはルミ子の方が上。住む家も提供して、自由に娘の家に出入りできると言う、密かな目論見があったかも?夜勤ありの工員と、ルミ子では釣り合いが取れないですよね、愛し合ってもいないのに。真央ママ、やっぱり毒だね(笑)。


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11月26日(土)
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