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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「37セカンズ」


実際の障碍者である佳山明が、ヒロインのユマを演じるのは知っていました。冒頭近く、母(神野三鈴)との入浴シーンで、佳山明がオールヌードを見せ、物凄く衝撃を受けました。彼女はこの作品にオーディションで選ばれた素人。演じ手・作り手の決意や覚悟が、痛いほど伝わりました。監督はHIKARI。今年屈指の作品になると思います。

脳性麻痺の後遺障害を持つユマ(佳山明)は、一心に彼女の世話をする母(神野三鈴)と二人暮らしの23歳の女性です。友人のサヤカ(萩原みのり)の書くコミックのゴーストライターをしていることに、屈託を抱えており、自分で描いた作品をアダルトコミックの編集に持ち込みます。編集長(板谷由夏)は、ユマの作品を誉めつつ、「あなたセックスの経験は?経験がないと、読者を熱狂させる作品を描くのは難しいわね」と、告げられます。

ふっくらした顔に似つかわしくない細い脚は筋肉がなく、彼女が歩けない事を表している。胸はそれほど豊かではないのに、少し下垂気味なのは、腕を上下する動作がし難いからでしょう。そして猫背。囁くように小声で話す姿は、きっと肺の機能も弱いのでしょう。ユマの全身は、彼女の障害を物語っている。そしてその表情は、ミドルティーンにしか見えません。23歳の大人の女性としての経験がないからです。

編集長の一言で、自分には未開の世界である男女交際や、性の世界に足を踏み入れるユマ。マッチングアプリで相手を探し、デートをブッチされたり、男娼を買おうとしてみたり。母には嘘をついて出てきた夜の繁華街は、昼間にはいない異形の人がいっぱいで、車椅子のロリータ姿のユマも、浮きません。客引きをするオカマさんたちが、「やだー、この子可愛い〜!」と嬌声を上げます。障害者も恋愛対象になると嘘ついた、似非爽やか男より、ずっと愛の籠った嬌声だったな。

そこで出会ったのが、障害者相手の風俗嬢のマイ(渡辺真紀子)や客のクマさん(熊篠義彦)や、介護士(大東駿介)。カラオケ、飲み屋、ショッピングなど、今まで知らなかった世界を満喫する娘の前に、母は立ちはだかります。

私が衝撃を受けたのは、ユマの日常を描き、観る人に障害者への理解や共感を求める内容だと思っていたら、このお話は遅かりし反抗期を迎え、自分の殻を破るため、大冒険をする女子のお話でした。何これ?(笑)。マイに「私はセックス(恋愛だったっけ?)出来るでしょうか?」と問うユマ。返事は「あなた次第よ。やろうと思えば出来るよ」。あー、これは全人類そうだよな。障害はモチーフなだけで、描いている事は、誰にも通じる普遍的な事柄なのです。垣根なんか、どこにもないのよ。生き生きと変貌していくユマは、私であなたなのです。

このお母さんは、世間にはどう見えるのかな?私は障害のある子供を持てば、過保護過ぎて当然だと思いました。このお母さんに限らず、子供に何かあると、私のせいだと自分を責めるのが母親の性です。それが誰のせいでもなくても。依存ではなく、ユマが生き甲斐なんだと思っていました。それが後半、ユマの冒険が加速すると、別の観方に。

お母さん、勿論ユマに対する愛情が一番ですが、自分に罰を与えたのですね。「ある人」の存在が、私にそう感じさせました。そしてこの抑圧さは、障害以外はきちんとした子に育てたいと言う責任感です。一般的には非難されて当然の母ですが、障害を持つ子の子育ては、「普通」と言うのは難しいのです。守るか攻めるか、になると思う。

ユマのお母さんが「守り」なら、私が大昔見た、サリドマイドの子のドキュメントのお母さんは攻めの子育て。まだよちよち歩きの子なのに、立つとすぐつついて、転がすのです。当然泣く子供。お母さんは鬼教官みたいに「ほら、立って!」。手がアザラシのように短いので、自分で立つのは至難です。それを延々カメラは映す。月日が経って、今度は何でも足の指で教えている。字を書くのは勿論、裁縫まで。男の子でした。心を鬼にして、とはこの事です。


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02月16日(日)
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