ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[927282hit]
■「ジュディ 虹の彼方に」

コロナのお陰で、ほぼ一か月ぶりの映画です。号泣しまくり心揺さぶられまくりだったのは、久々の映画館だったからではなく、この作品に、その力があったからだと思います。監督はルパート・グールド。
「オズの魔法使い」のドロシー役で、一躍スターダムに乗ったものの、その後数々のスキャンダルにまみれ、浮き沈みの激しい芸能生活を送り、現在は低迷しているジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)。とうとう定宿しているホテルも、料金滞納で追い出されます。二人の子供を連れたジュディは、仕方なく離婚した子供たちの父親シド(ルーファス・シーウェル)に預けることに。子供たちを手放したくないジュディは、生活基盤を作るため、ロンドンのホテルのショーに出演することにします。
この作品、素晴らしいのはジュディへの敬愛を強く感じる事です。今で言うとお騒がせセレブ的な、スキャンダラスに満ちた生涯を送ったジュディですが、何故そうなったのかを紐解き、理解出来るように作ってあります。そして母親としての感情を繊細に描き、私は強く共感出来ました。これらが作品に品格を与えています。
最晩年の姿を描く中、子役時代の彼女も描かれる。まだミドルティーンの女の子に、撮影やダンスの練習のため、当時は合法だったアンフェタミン=覚せい剤を服用させる周囲。以来彼女は、生涯薬物依存と不眠、情緒不安定に悩まされるようになります。厳格な管理や無理なダイエットに反発する彼女。プロデューサーは「ゲイの父親、ステージママの母親を持ち、足も太い。他にももっと可愛い子がいるのに、そんな君をスターに出来るのは誰だい?平凡な道を歩みたかったら、すぐスタジオから出ていくんだ」と、根こそぎジュディの自尊心を摘み取ります。子供のころから、誰も味方のいないジュディ。
生涯五度の結婚をしたジュディ。作品では別れた三度目のラフトと、五度目のミッキー(フィン・フィットロック)が出てきます。二人とも当初はジュディを本当に愛していたのだと思います。それなのに、夫婦の絆は誰とも結べず、感情の起伏が激しい妻を、夫たちは持て余します。精神科勤めの時、嫌と言う程見てきた光景です。これも薬物の後遺症だと思いました。
ロンドンでジュディの秘書役だったロザリン(ジェシー・バックリー)。なだめすかしてジュディを舞台に立たせる姿は、年下のロザリンが、母か姉のように見える。同じ仕事を通しての付き合いでも、プロデューサーやステージママと違うのは、ジュディからお金を搾取する立場ではなかったからだと思いました。ロザリンが自分を見守ってくれているのを知りながら、自分ではどうにもならないジュディ。ロザリンも、それが甘えではないと感じていたからの、最後のティータイムだったと思います。
満身創痍のような自分自身を持て余しながら、何故彼女は引退をしなかったか?ひとえに子供たちと暮らしたかったからだと、思いました。定住する住まいも持たず、学校にもろくに通わせず、良き母親からは程遠いジュディ。それでも子供への愛情を強く感じるのです。生活の基盤を築きたかったのですね。不躾なテレビ司会者の質問に、「私はマスコミで書かれているような人間ではない。それなら、子供たちが、あんな良い子に育つわけはない」と言い放ちます。これは私が劇中で感じていた事です。虐待された子が、それでも親を庇うのとは根本的に違う、暖かな情愛が、母と子には流れていました。
子育てに必要なものは、愛情や責任、財力、親としての資質など、たくさんのものが必要です。でも私が一番必要だと思うものは「子供の幸せを願う」と言う、至ってシンプルな心だと思う。この子たちは自分を求めている、この子たちを育てなければと、自縛していた彼女が、ラフトの提案を一蹴するも、娘に「ハニー、本当の事を言っていいのよ。そのままパパのところで暮らしたい?」と問います。イエスと答える娘。ママごめんなさいの言葉も添える、優しい子に育ったのは、ジュディが育てたからです。
[5]続きを読む
03月24日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る