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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ラブレース」


1972年に制作されたアメリカの伝説的ポルノ映画「ディープ・スロート」に主演した、リンダ・ラブレースの伝記。知っている事も知らない事もあり、興味深く観ました。作りの詰めが甘く、人物の掘り下げや疑問のある描き方もありましたが、主演のアマンダ・セイフライドの熱演を始め、役者さんたちが脚本の脈絡以上の演技をしてくれたと感じたので、私には好印象の作品です。当時の風俗やファッション、音楽も懐かしく思い出しました。監督はロブ・エブスタン。

1970年のアメリカ。敬虔なカトリック信者の両親(父ロバート・パトリック、母シャロン・ストーン)の元に生まれたリンダ(アマンダ・セイフライド)。躾の厳しい母親に息の詰まる毎日を送っています。そんな時出会ったバー経営者のチャック(ピーター・サースガード)と恋に落ちます。親の許しを得て同棲・結婚する二人。しかしチャックのバーの経営は思わしくなく、お金のため、リンダはポルノ映画に出演する事になります。

この作品の日本公開は1975年。私は当時中学生で、「スクリーン」誌をこよなく愛読しておりまして、この作品も話題沸騰でした。アンダーグラウンドのポルノが、遠い日本の中学生にまで轟いていたのですから、当時のアメリカの騒ぎ方は尋常ならざるもので、大人の男性のみならず、女性も大挙押しかけ大ヒットし、社会現象になったとか。

簡単に筋を説明すると、セックスに絶頂を得られない女性が、喉の奥深くにクリトリスを発見。男性の性器を飲み込む事で絶頂感を得る、そう言う内容です。日本での出来の評価は芳しくなく、プレイメイト系美女ばかりの米ポルノ女優の中、平凡なリンダは容姿に物足りないとの烙印が押されていた記憶があります。
本物のリンダ。普通に可愛いですね。劇中でもそう表現されていました。

この作品でも、リンダは容姿に欠けるとの監督ダミアーノ(ハンク・アザリア)の発言があります。それを補ってあまりあるのが、フェラのテクニック(!)だったとは。そりゃ日本上映ではカットとボカシばかりのはずですから、わかりますまいて。

両親が厳しいとの描き方ですが、う〜ん、アメリカと日本じゃ違ったでしょうが、私は親の躾としては当たり前の範疇だと思いました。リンダには二十歳前で子供を生み、里子に出した経緯があります。カトリックだから堕胎は出来ない。未婚の娘の妊娠は、親にとっても重大な事で、親が至らなかったからと、自分を責めて当然の出来事。リンダも痛みは感じているから、親の言いつけは守っていますが、素因として遊び好きなのは明白。それを知る親が繰り返さぬようにと、厳しかったんじゃないかなぁ。

チャックと同棲してからは、表層的なリンダのサクセスストーリーの前半と、リンダの視点からの、夫のDVと借金に悩まされた生活の後半が描かれます。前半の映画撮影場面は、現場の暖かさをユーモアにくるみながら描き、卑猥な感じはありません。特に先輩女優や相手役のハリー・リームズ(アダム・ブロディ)やカメラマン(チョイ出だけど、ウェス・ベントリー好演)が、ふんだんなヌードやセックスシーンを前に緊張するリンダを気遣う様子が素敵です。ちょっとしてバックステージものの風情でした。

一転、リンダの視点で描かれる世界は最悪です。夫からの売春強要、DVが主なもので、時代の寵児扱いのリンダのマスコミへの出演料は、一円も彼女の手に渡らずチャックのものとなります。そう「もの」。前半部分で、リンダの太ももの痣を見つけた先輩女優に、「私が転んだの」と答えるリンダに、先輩は「私もよ」と答えます。ここで、あぁ暴力を受けているのだとわかります。先輩女優の言葉は、その数の多さを示しているのでしょう。

私が前半で気になったのは、繰り返されるチャックの「お前は誰の女だ?」「お前は俺のものだ」と言う言葉。リンダは「あなたのものよ」と答えます。う〜ん、若い時には有りがちな錯覚ですね。それが愛情表現だと思っている。違うのです。自分は誰のものでもなく、自分自身のもの。自分の所有物扱いや束縛せず、尊重してこそ愛のはず。


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03月13日(木)
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