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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「東京難民」


父親の送金が停止し、坂を転げるように転落する大学生が主人公の作品で、現代の世相を反映した社会派作品。監督の佐々部清の作品を全部観ているわけではありませんが、底の浅い「善」の描き方に退屈を感じる事もしばしばでした。しかしこの作品では、主人公・修に、やはり底の浅い未熟さを託す事で、くっきりと監督のメッセージを受け取る事が出来ました。観ていて辛く、ホラーのようなサスペンスフルな展開ですが、随所に胸を打つ場面のある秀作です。

三流大学に通う修(中村蒼)は、お気楽な毎日を送っています。しかし父親が蒸発し、学費を滞納したため除籍。住んでいたマンションも追い出されます。お金に窮する彼は、日雇いの仕事で食い繋ぎネットカフェを転々。やがてはホストとなるのですが。

まず宿無しとなった修が、誰も頼る人がおらず、ネットカフェに直行する事にびっくりしました。「小さい時からひとり部屋で、横に人がいると眠れない」と言う独白が入りますが、今は非常事態。本音で辛さを聞いて貰える友人はおらず、戯れにセックスしても、心配してくれる恋人もいない。本人は一人っ子かもしれませんが、叔父も叔母もいないのでしょうか?あまりに希薄な人間関係に、やるせないものを感じます。

ネットカフェにも段階がある事、住所不定には警察は厳しく、一見華やかなホスト稼業の厳しさと非情さ、日雇いの土木作業の劣悪な労働条件、貧困ビジネスなど、知っている事ばかりなのに、順を追って描かれると本当に怖い。これは一つの逆モデルケースなのだと思います。一つ間違えば誰にでも起こり得る事です。

最初はやけくそから所持金をパチンコですってしまう甘ちゃんの修ですが、過酷なホスト稼業に飛び込んでからは、次第に根性も座ってきます。ですが、やっと出来た指名客の看護師・茜(大塚千弘)の懐具合を気にする様子は、まだまだ甘い。この後にも、自分のしでかした事の償いのため、余計な事をし続ける修。正直イライラします。

その余計な事は、どんな苦境に陥っても直らない。当初はその甘さに、ただの自己満足だと突き放して観ていた私ですが、これは違うのだと感じ始めます。どんな環境に陥っても、修は非情にも冷酷にもなれない。自分の行動で迷惑を掛けた人には謝罪したいのです。人間はどんな劣悪な環境に陥っても、「良心」はどこかに残るもの。それが人間らしさだと言いたいのだと思う。自分の身が危うくとも、人殺しなんて出来るはずもない。愚直な修や、ホストの同僚順矢(青柳翔)を見て、監督が何が言いたいのか、わかりました。いつになく厳しい描き方ですが、これは佐々部監督が描き続けてきた事です。ある意味、集大成なのかもしれません。

しかしこの生活が一年二年と続けば、修の心はどうなるかわかりません。劣悪な環境は、健全な精神を蝕むものです。そして慣れ。修の流転を半年間の出来事として描いたのは、その為だと思いました。

私が考え込んでしまったのは、千弘です。純朴そうな修に惹かれているのだと思っていたら、「私が好きだったのは、ホストの修よ!」と叫んだ時。彼女がホストクラブの騒々しさに孤独を紛らわし、修に貢ぐことで、自分を高い女だと思い込もうとしていたとは、全く思っていなかったからです。あの毒々しい豪華さに空虚を感じるのは、私が孤独ではないからなのでしょう。

反対にとても納得したのは、過酷な土木作業の場面で、額に汗して働く修が、初めて心の底からの笑顔を見せた事です。そして各々の仕事の教訓や問題点がが描かれ、そこに立ち止まる人々の人生が、有言無言で、こちらの語りかける様子は、是非社会に巣立つ前の、若い子に見て欲しいと思いました。


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03月08日(土)
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