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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「八日目の蝉」

映画には名作や傑作と言う冠が付かなくても、心の底から観る者の心を震わせる作品があります。「八日目の蝉」は、俳優・監督・脚本家、その他の作り手全ての方が、真面目に誠実に、そして一生懸命、「母性」と言うものの本質を観客に伝えたくて作ったのだと、私には感じられました。出てくる全ての母と娘たちの心に寄り添いながら、私も懸命に彼女たちの幸せを願った作品です。監督は成島出。
希和子(永作博美)は上司である丈博(田中哲司)と不倫して妊娠。丈博の「時期がくれば妻とは離婚」と言う言葉を信じて、今回は彼の願いで中絶します。しかしその後遺症で希和子は妊娠出来ない体に。不実な丈博は妻恵津子(森口瑤子)には出産させていました。その子・恵理菜の顔を一目見たら、丈博をあきらめようと思っていた希和子ですが、自分に笑いかける四か月の恵理菜を見て、思わず誘拐してしまいます。恵理菜を薫(渡邊このみ)と名付け、一心に愛を注ぐ希和子。希和子は四年の逃亡の果て、警察に捕まります。そして家族の元に戻った恵理菜(井上真央)は21歳。かつての過去が彼女を呪縛し、両親にも友人にも心を開かない女性になっていました。そんな彼女にインタビューしたいと千草(小池栄子)と言うルポライターが近づきます。恵理菜は不倫相手岸田(劇団ひとり)の子を宿していました。昔の希和子のように。
母親と言うのは、産んだだけでなれるものではありません。育てる過程で母になっていくものです。親にとっては子供はいつまでも子供ですが、それは大きくなった子供の向こうに、幼い頃の残像を観ているからです。そして子供も、自分に一心に愛情を注ぐ相手=母親を認識し、自分の世界の中心に、一番大切な人として母親を置くのだと思います。
作品は繊細に登場人物の心理を描きます。丈博の不実も一切責めず、子供を中絶した罰で子が産めなくなったのだと自責する希和子。忍びこんだ希和子に笑顔を見せた赤ちゃんの恵理菜。本当に純真な素晴らしい笑顔でした。子供を誘拐する彼女を、誰もが擁護したくなったと思います。
子供は5歳までに一生分の親孝行をすると聞いた事があります。恵津子にはその記憶がありません。冒頭、裁判で般若のような恐ろしい恵津子の顔が映されます。これでもかと希和子を罵る恵津子。他罰一方です。この作品では恵津子が悪いような描き方ですが、それは作り手の意図と言うより、世間の目を表しているのではないでしょうか?
マスコミの格好の餌食であったろう事件です。幸薄く大人しそうな外見。男の甘い言葉に騙された哀れで可哀想な女希和子。おまけに子供は健康に育っています。対する恵津子は派手で気の強そうな外見。いつも鬼のような形相で希和子を責め立てる。きっと世間は、あんな性格だから亭主が浮気したのだ、戸締りもせず赤ちゃんを置いて外出するいい加減な母親。好きなように書いたでしょう。世間は他罰する人より自罰する人を好むのです。被害者なのに、理不尽な中傷が恵津子を追い詰めたでしょう。
この幸せな生活がいつ終わりを告げるか、一日も安らかな日はなかったでしょう。しかし薫を育てることで、笑顔も涙も見せる希和子。心豊かな日々です。対する恵津子は、一度たりとて笑顔を見せません。いつまで経っても、娘は「ちゃん」付けでしか呼ぶことが出来ない。懐かない娘を責め、原因を作った夫も責めたでしょう。恵津子は気の強い派手な女から、まろやかで優しい母と変化する時間を、希和子によって奪われたのだと観たら、形相からほとばしる恵津子の涙は、血を流しているように見えるのです。大切な思い出を封印し、希和子を悪魔のような女だと娘に教え込む恵津子。行き場のない思いは、希和子を憎む事で逃げ道にしたのだと思います。
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05月05日(木)
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