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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「アンチクライスト」

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」以来トリアーが大嫌いです。なので「ドッグヴィル」も「マンダレイ」も未見。私だけかと思っていたら、結構そういう方は多いみたいで安心したり。今回はテーマがそそったし、久しぶりにまともなウィレム・デフォーも観たかったので、観てきました。だがしかし・・・。あぁやっぱりなぁ〜と言う感じ。単純な私には、この人は合いません。
愛し合っている最中に、幼い息子を転落事故で亡くした夫婦(ウィレム・デフォーとシャルロット・ゲンズブール)。哀しみと自責とで精神を病んでしまう妻。セラピストである夫は強引に精神病院から妻を連れ出し、治療のため「エデン」と名付けた森の小屋へ妻と一緒に向かいます。
冒頭クラシック音楽が流れる中でのモノクロ映像は、素晴らしく美しいです。本当は悲惨なはずの赤ちゃんが転落する様子も、まるで天使が舞い降りるかのよう。夫婦の営みの様子も神々しいほど美しい。おぉ、今回は大丈夫か?と期待したのですが、良かったのはここまで。
遅々として容態が回復せぬ妻に、主治医の見解を否定し、セラピストの自分が治療にあたると言う夫。まずここで謎。精神科に限らず、医療で身内が主だった診療にあたるのって、ご法度なんじゃないの?この辺に夫の傲慢さをまず感じます。そしてセックスの最中に亡くなったんだから、普通は怖くてセックス出来なくなれば、可愛げがあるというか普通と言うか、理解はし易い。しかし妻は依存症に近く精力旺盛になっている。なので悲嘆にくれたり、過呼吸になる様子にも、あんまり同情出来ません。この辺の違和感&嫌悪感に、既にトリアーの手のうちにはまってしまったのをじわじわ感じます。
色々妻に問いかけ心理療法を試みる夫。わかったようなわからんようなお話が、中盤結構長く続きます。この辺で隣の人は高鼾でした。そしていよいよ「エデン」の生活が始まります。ここから段々、妻の知られざる顔が暴露されるのですが、その間に死産の小鹿をぶらぶらさせた鹿、「カオスだ」と人間の言葉を話すキツネ、夜な夜なうるさい団栗の落下の大群、気持ちの悪い虫など、自然は癒すどころか薄気味悪さ全開です。その結果、妻の病は加速してしまい・・・。
まぁね、単純に「ミザリー」にはならんわ。普通だとトリアーじゃなくなるし。問題のシーンはこれからたくさん出てきますが、娯楽としての見世物的ではなく、なぜそういう行動に出たか?と言うのがわかるようにはなっているので、人格が壊れていく、または追い詰められ行く怖さは感じましたが、個人的には世間で言うほどの衝撃は受けませんでした。タイトルの意味は「反キリスト」。上記の動物はそれぞれ「悲しみ」「痛み」、のちに出てくるカラスが「絶望」だというのは、さりげなく作中で解説されます。
そして妻の罪悪感の後ろにはもっと根深い事がありました。しかしここがもぉ〜〜〜!!私的には「そんなわけねーだろ!」と、憤懣やるかたない気分になりました。気分は「ダンサー」の時の悪夢再来。いや女性の性欲は否定しませんよ、しかしだね、これで女の性というか業を表現されても笑止千万、だいたい妻の根本には、多分以前から精神的な病があるようです。それが「エデン」に行き、妻=女性の本質的な自己が目覚めたって言うわけ?それでセックスに依存したり嫌悪したりで、罪深い自分を認め、正気と狂気を行きつ戻りするという事?女性蔑視だとカンヌでブーイングが起こったというのもわかるわなぁ。
女性蔑視というより、トリアーは怖いのかとは感じました。あれこれこねくり回して監督の持つ女性観やキリスト教へ原罪を見せられたわけですが、私的には自分とは肌の合わない監督が描くと、理解出来て見応えあっても、こうも心が動かぬもんかを実感しました。でもこの作品でカンヌで賞を取ったシャルロットの大熱演は称賛に価するものだし、デフォーも50半ばの名の通った俳優がやる役ではなく、その男気には感服しました。観て損はないというより、気になるなら観た方が良い作品だと思います。
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03月11日(金)
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