ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[928189hit]

■「ディア・ドクター」


前作「ゆれる」で、たくさんの映画ファンを唸らせた、西川美和監督の三年ぶりの新作。今回もすごい、素晴らしい。西川監督は丹念かつ的確に、登場人物の心理を浮き彫りにするのが非常に上手い人です。「ゆれる」では男兄弟、今作では中年男性医師ですが、まだ三十代半ばの愛らしい女性(可愛いんですよ、この人)、何故こうも男性心理が理解できるのか、本当に驚愕してしまいます。今回は僻地医療にも言及しており、社会派の面も感じさせる秀作です。

山間にある人工1500人の小さな村。村でたった一人の診療所医師・伊野(笑福亭鶴瓶)は、看護師の朱美(余貴美子)と共に、献身的に患者の治療にあたっています。とりわけ伊能は、長らく無医村だった村に来て三年半、村人からは神のように慕われています。そこへ東京から研修医の相馬(瑛太)がやってきます。最初はいやいや研修にあたっていた相馬ですが、伊野に対する絶大な村人たちの信頼感を目の当たりにし、研修期間が終わっても、ここに残りたいと思い始めます。そんなある日、一人暮らしの老夫人かづ子(八千草薫)が、自分の身体について、伊能にある「嘘」を頼んだことから、伊野は失跡してしまいます。実は伊野自身も重大な「嘘」を抱えていました。

私は役者鶴瓶に対しては疎く、何故彼が主役?といぶかしかったのですが、終わってみれば、彼ほどこの役に適任な人はいないと感じます。誰でもすぐ溶け込めるような、人を選ばない愛嬌のある笑顔。しかしふとした拍子に見せる小さな目の奥は、猜疑心の塊のようです。見方によれば小悪党に感じ、もしかしたらもっと悪党かも知れないと思わす瞬間もあります。直後にそれを打ち消すように、また笑顔。村人にはわからず、観客だけにわかるように感じる演出です。

伊野の嘘に加担するのが、医師以外の医療関係者だというのが、医療を取り巻く環境の、根深い問題を提議しています。伊能の嘘を知りつつ加担する薬問屋の営業の斎門(香川照之)。彼が吐露する国家資格のない、末端で医療に携わる者のやりがいは、私も病院で働く医療事務員(それもパート)なので、非常に共感するものがありました。なので「年寄りを自分の自慰に使っているのか?」という刑事(松重豊)の言葉は、冷水を浴びせられたような気がしました。確かに患者の役に立っている、そういう思い込みは、ただの自己満足なのかも知れません。しかし伊能の嘘を、「金なのか?愛なのか?」斎門に問う刑事に見せた彼の行動は、伊野を庇うだけではなく、自らの自尊心も示しています。

ベテラン看護師の朱美とて、当初から伊野の嘘には気付いていたはず。しかし老衰でみとる以外、これといって命に関わる病気が起こらなかったのでしょう、見て見ぬふりをしていのだと思います。理由はやはり、無医村であったから。なので重篤な状態で運ばれた患者の容態を朱美が先に見抜いたシーンは、この作品一番の緊張感が溢れます。「長く救急(病院)にいました。お手伝い出来ると思います」という控えめな言葉が、医師と看護師の力関係を物語っています。

病院にはこの他、理学療法士、臨床検査技師、医師以外のたくさんの医療者がおり、外をみれば、薬問屋以外にも製薬会社、医療機器メーカーなど、たくさんの人たちから、医療と言うのは成り立っているはず。医師だけで医療は成り立っているのではありません。甚だ未熟な医療事務員である私でさえ、「医師」という名の前には、どんなに理不尽な言葉にも口応え出来ず、悔しい思いをした経験があります。上記の人達はベテランであればあるほど、仕事が出来れば出来るほど、砂を噛む耐えがたい思いをたくさんしているはずです。医療の最前線で働いていた、それも優秀であるだろう朱美が、何故こんな僻地で看護師をしているのか、その理由もここにあるのでしょう。


[5]続きを読む

06月28日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る