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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「花田少年史 幽霊と秘密のトンネル」
やっとこさ観てきました。テレビCMで流れる、「母ちゃんの人生には、最初からお前がいたような気がする」という、母親役の篠原涼子のセリフは、親ならとても共感出来るセリフだと思います。子供が何より大切だ、子供にこんなにしてやっていると大声で言わなくても、このセリフ一つで、親の子供への思いは全て語られているように思います。そんなドンピシャだったりデリケートだったりする親と子の感情を、笑わせ泣かせてくれる作品で、ちょっと詰めが甘い部分もあるのですが、泣いているうちにどこかに飛んでいっちゃった。
片田舎の猟師町に住む腕白少年花田一路(須賀健太)は、父大路郎(西村雅彦)、母寿枝(篠原涼子)、姉徳子、祖父徳路郎(上田耕一)と、慎ましくも賑やかに楽しく暮らしていました。ある日遊んでいる時、トラックにはねられた一路は、瀕死の重傷を負います。臨死状態になった一路は、幽体離脱を経験しますが、その時現れた女子高生姿の聖子(安藤希)の助けにより、九死に一生を得ます。また元通りの生活を送るはずの一路でしたが、臨死体験後、幽霊が見えるようになります。
子供たちを描く日常がすごく良いです。子育てをしていて、一番楽しいのが小学生の時です。まだ親と喜んでついてくるし、お腹が空いたのも我慢出来るし、格段に行動範囲が広くなります。そして何より、まだまだ親が世界中で一番好きです。その一番好きだという気持ちが素直に表現されている場合もあれば、可愛く切ない反抗も見せます。父が、母が、自分の本当の親ではなかったら?自分より大切な人が出来たらどうしよう?その愛しい感情を、抱きしめたくなるように描いています。
一路の親友壮太の、再婚話の出た母親を気遣いながら、隠れて亡くした父を想う心は、親とは幼い子供にとって、肉体はなくなってもなお恋しい存在なのだと、胸に染みます。母の再婚相手の子・桂の、壮太とは違う敵意むき出しの感情も、思春期が早く来る女の子と、いつまでも幼い男の子との対比になっていて、とてもよくわかります。同じ片親でも、母と父の違いも感じさせ、それが表面は気がきついが、内面は心寂しい桂と、泣き虫だけど情感豊かな優しい子に育った壮太の違いで、上手く表現されていました。
子供にはうかがい知れない大人たちの秘密を、子供がかぎまわるようにする様子に、昔を思い出し、とてもニンマリしました。自分はそうだったのに、親になると忘れている事って、案外多いですよね。
がさつで凶暴な一路の母ちゃんを演じる篠原涼子が素晴らしいです。都会的なイメージの強い彼女が、明るく生き生きしているけれど、しっかり所帯くさい母親を、とても好演していました。いや、男の子の母親はあんなもんです。私も男言葉で息子三人、ぶっ飛ばしながら育ててきたので、あれで大阪弁ならまるで私です(あんなに美人じゃなかったが。これで2回目か・・・)。上記のセリフが似合う、肝っ玉母さんぶりでした。
父大路郎の、「お前が俺の子じゃなかったら、何が悲しくて育ててんだ!」のセリフは笑いました。そうですよね、何が悲しくてあんな小遣いで我慢してんだか。自分の子供なればこそです。
以下ネタバレ
しかしいっしょに遭難したのに、壮太の父は死に、自分は生き残った大路郎は、壮太の父の遺言どおり、壮太や壮太の妻に出来る限りの援助をします。彼が壮太の父を「見殺しにした」と言ったのは、人からなじられ、後ろ指さされなければやりきれなかったのだと思います。彼が漁師を辞めたのは、怖くなったからではなく、壮太の父との約束を守るため、絶対死ねないと、危険度が高い漁師を辞めたのだ感じました。
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09月20日(水)
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