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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ヨコハマメリー」
木曜日にテアトル梅田で観て来ました。先に上映の地元横浜や東京での大評判に、期待ワクワクで鑑賞。特異な風貌で、娼婦として生き続けた老女メリーさんの、切なく哀しい物語なのかと思いきや、とめどもなく流れる私の涙は、胸いっぱいに広がった暖かさがもたらした涙でした。このドキュメントは、メリーさんという一人の女性を通じて描く、横浜の日本の戦後、そして昭和です。

横浜の人々の間で知らない人はいない娼婦メリーさん。年齢も本名も誰も知らず、住所も不定。「ハマのメリー」さんの名前で知られています。その風貌は独特で、白塗りの歌舞伎役者のような素顔のわからないメイク、薄汚れたレースいっぱいの衣装を身にまとい、大きな荷物を常に持ち歩く彼女は、老境に差し掛かっても現役の娼婦なのです。そんな都市伝説のヒロインのような彼女が、1995年、ヨコハマから姿を消します。

メリーさんを知る多くの人が、どういう女性だったか、スクリーンで語ってくれます。かつて同じように街娼として働いていた人、メリーさんが通っていた美容院の先生やクリーニング店の店主夫妻、メリーさんを被写体に選んだ写真家、「あたしメリーとケンカしたのよ」という、気風の良さそうな元お座敷芸者、当時の風俗ライター、無宿者のメリーさんに居場所を提供した宝石店主など、近しく又は遠巻きに語る内容で、メリーさんの過去が浮かび上がります。

中でも観客が皆一番心魅かれるのは、ゲイのシャンソン歌手・永登元次郎さんでしょう。歌手になり自分のお店を持つまでに、田舎から出てきて長い苦節があったのでしょう、彼は女装して男娼をしていたことがあります。メリーさんとは彼のコンサートにメリーさんが来てくれたことが縁で、長く交流を重ね、金銭的援助もしていました。今元次郎さんはガンに侵され、もう一度メリーさんと会いたいと願っています。

横須賀にいる時は将校しか相手にしなかった高級娼婦、気位が高く皇后陛下と呼ばれていた、40歳になり横須賀のどぶいた通りから横浜の黄金町に移った、人からほどこしを受けるのが大嫌いだった、他の店は店前に座ることも許さないのに、一軒だけ彼女を追い払わない店には、長く盆暮れには届け物をしていた、など。元次郎さんにチケットをプレゼントされた彼女は、きちんと舞台にプレゼントを届けます。

一見して老狂女のように見える彼女からは、孤独や哀しさではなく、孤高とも言える強さと気高さが感じられます。私はびっくりしました。どんなに伝説の人となろうとメリーさんは娼婦なのです。こんな女性だとは思いもしなかったからです。女性が春をひさぐことには哀しみや痛みが伴うもの、という先入観は、見事に吹っ飛びます。

戦後すぐの横浜の様子を語る様々なすねに傷を持つ老紳士たちは、戦争に負けてへこむ頼りない男達を尻目に、パンパンと呼ばれながら、アメリカの男達からたくましく金を吸いとる彼女達を、蔑みません。しかし本当に生活のため体を売ることを、彼女たちは平気だったのでしょうか?「白塗りになることは、メリーさんがメリーさんに成りきるためのもの」という、作家の山崎洋子の言葉は、華やかで毒々しい服やメークをまとう、メリーさん以外の多くの娼婦たちにも共通した痛みではなかったでしょうか?

元次郎さんは早く父に死に別れ、水商売をしていた母の手一つで育てられました。その母に恋人が出来た時、彼は寂しさのあまり母を「パンパン」と罵ります。今の自分なら、決して言わないという彼。亡くなった母をメリーさんに重ね、彼にとってメリーさんは特別の存在になります。そして美容師、化粧品店主、クリーニング店主夫妻など、心から彼女を受け入れてくれた人にさえ、一線を引いた付き合いをしたメリーさんが、元次郎さんにだけは孤高の衣を脱ぎ捨て、安息を求め寂しさ感じる自分の姿をさらけ出します。元次郎さん以外は堅気の人です。同じ異形の人として人の世を生きる元次郎さんには、メリーさんもまた、肉親に近い情を感じたのではないかと思います。


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05月27日(土)
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