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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「嫌われ松子の一生」
月曜日観て来ました。最初予告編を観たとき、あの「下妻物語」の中島哲也監督と聞き、またまた痛快な作品が観られるのだと、期待満々だった私。それが年若いお友達とお話している時、「私『松子』の原作を読んで、すごく落ち込んだんですよ・・・」と聞いて、へっ???。あの予告編からは想像出来ないじゃございませんか。一体どんな話なのかと、頭は妄想だらけ。かなり厳しい内容だとは検討がつきましたが、これほど痛々しく哀しいお話だとは・・・そこには孔雀が羽を広げたような彩で描かれた、澤地久江が好んで書くような「昭和史の女・川尻松子」がいました。またまた目が痛いほど泣きまくり。大をつけても良い傑作だと思います。

平成13年、東京のとある川原で、53歳の川尻松子(中谷美紀)の殺傷体が発見されます。彼女とは生前面識のなかった甥の笙(瑛太)は、松子の弟の父(香川照之)の頼みで松子の部屋を掃除するはめに。しかしそれが図らずも松子の哀しい人生を振り返ることになるのです。昭和22年福岡の平凡な家庭に生まれた松子は、中学の教師をしていましたが、ある事件をきっかけに辞職することに。家を出た彼女は、作家崩れと同棲したり、妻子ある男の愛人になったり、あげくトルコ嬢に。しかしそののちヒモを痴話げんかの果て殺してしまい、刑務所に行くことに。以降まだまだ松子の悲惨な人生は続いていくのです・・・。

多分私の想像なのですが、原作は想像を絶する痛々しさで包まれているのではないでしょうか?それを中島監督は、「下妻」式のカラフルな色彩、ポップな技法を用いて、所々ミュージカル仕立てで演出しています(本当に予告編通り)。あぁそれなのに、軽〜く観たり笑ってしまう場面が随所にあるのに、痛ましく哀しすぎる松子の人生が、ズシンズシンと胸に響きまくりです。

そもそも教師を辞めた理由だって、ちょっと頭がまわりゃあ、あんなことはしないだろうと思うような、刹那的な行動なのです。それ以降の行動も突拍子もなかったり浅はかだったり、男を観る目が丸でなかったり、この不幸のつるべ打ちは観ていて予測通りなのです。しかしこれが他人事には全然思えず、哀しい女とは感じても、絶対バカな女とは思わないのです。ただちょっとづつ、ボタンを掛け違えただけなんだもん。私は松子だったかも知れない。それくらい松子が理解出来るのです。

松子のムショ仲間だっためぐみ(黒沢あすか!好演!はすっぱ!セクシー!)が言う「女はみんな、シンデレラか白雪姫を夢見るもんさ」。うんうん私だってそうだったよ。王子様が私を幸せにしてくれると思ってた。「殴られたって一人でいるよりまし」(by松子)というのは、私は本当の孤独を知らないから思ったことがないのでしょう。松子を観ていると、ひしひし孤独というものが、いかに辛いかが見えてくるのです。殴り殴られて依存仕合い、体売って金持って来いという男を、松子が一番愛したのを見て、もしかしたらDVの根源的な部分は、松子の心情にあるのかもとまで思ってしまいます。

めぐみは心底松子を心配し、彼女を救おうとしますが、「地獄にいっしょに落ちてもいい男」と巡りあった松子は、めぐみの気持ちを拒否します。それは笙のいう事が当たっているのです。AV製作であろうが自分が出演しようが、めぐみには前科モノの彼女を丸ごと引き受けてくれて、いっしょに夢を見る夫がいて、松子にはそれがない。人生を共に出来るのなら、それが夢の見られない相手なら、地獄に落ちたい。これは私も同じタイプなんです。

以前兄嫁(9歳上)と話している時、「大昔やねんけど、親友が本当に辛い境遇に陥ってね。その時私が男なら、この子のこと幸せに出来るのにって、悔しかったの」という言葉に、もの凄く納得した私。断っときますが、兄嫁はもちろんストレート。それくらい昭和の女の平凡な幸せには、自分を守ってくれる男性というものが不可欠だったんです(もちろん例外もあり)。


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05月30日(火)
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