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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「焼肉ドラゴン」
父はあの時代の在日の男性にしては、物静かで大人しい人。しかしその大人しさには、腕のない事や、様々な屈託を抱えているのがわかります。いじめがわかり時生が不登校になっても、学校を転校させないのは、そこが進学校だから。自分の今の不遇の一端は、学がない事だと思っているのです。そして、差別を乗り越えなければ、ここ(日本)では暮らしていけないと知っている。たった一人の男子として、姉三人に何かがあれば、実家に戻って来られるよう、立派に家を継いで欲しかったのでしょう。それは、自分の妻の哀しみを知っているからです。
陽気で気の強い妻は、癇癪を起こすと、「もう出て行く!」と家を出るのですが、意に介さない夫。「すぐ戻ってくる」のを、夫は知っています。だって帰る所がないのです。どんなに辛くて苦しくても、韓国に戻っても家はもうなく、この家にしがみつくしかない。なさぬ仲の静花と梨花を、自分の生んだ美花や時生同様、慈しむ母。豪快ですが、女性のたしなみはある人なので、梨花の不倫場面を目撃して、後ずさりして叱らなかったのが、不思議でした。しかし、美花が結婚前の妊娠を告白した時、「この恥知らず」と大暴れ。叱らない夫に「自分の娘ではないから、怒らないのだろう!」と食って掛かり、夫に怒られます。
遠慮していたのですね。上の二人の心配事には、「自分の子だろう!何故怒らないのだ!」と、夫の分まで怒っていた妻。一見図太そうに見えますが、いつもいつも繊細に、家内安全を願って切り盛りしていたと思うと、こみ上げるものがありました。私の両親も再婚同士。当時の在日は複雑な家庭が多く、韓国に本妻を残し、こちらで家庭を築いた人も多く、財産分与の時など、骨肉の争いになる事もしばしば。英順は、とても立派な良妻賢母であったと思います。
しかし時生は、転校をする事を許さない父に絶望。自殺します。衝撃でした。
この作品のナレーションは時生で、私はてっきり差別を乗り越え、医者か弁護士など、「先生」と呼ばれる職業に就くと思っていたから。それと謎だったのは、当時とは言え、私立の中学がいじめを把握し、教室の机に「国へ帰れ」と書かれているのを観て、放置するのかな?と言う事。
私も時代は下りますが、私立の女子校に通っていました。高校の時、とある授業で先生が、部落差別の話しをされました。自分の担任のクラスである生徒(A子)がクラスメート(B子)に、「あんた、部落の子やねんやろ?仕事聞いて、うちの親が言うとった」と、侮辱したのだとか。言われた子は寝耳に水で、親に問い質したところ、そうだと言う答え。しかし親御さんは、大ショックの娘に、何も恥ずべき事はない、胸を張って学校へ行け、A子にもそう言えと教えたとか。B子は親の教えを実践。しかしA子は親共々引かず、学校を交えての大騒動となったとか。先生によると、当然学校はB子側に立ち、A子に謝罪を求めるも、断固拒否。とうとうA子は転校したんだとか。
時生の母が、学校側へ掛け合った台詞も出ていたし、この辺はどうだったんでしょう?在日だと受験すらさせない学校もありましたが、夫の近所でも、今70過ぎの人が、名の知れた進学校に通っていたとかで、当時でも受け入れた学校はたくさんあったはず。受け入れるからには、このようなことは想定済みのはずで、この描き方には、謎が残ります。これで差別を強調したかったのなら、ちょっと違うのじゃないかなぁ。
美花の結婚相手を前に、父が語る人生の軌跡には、一緒に観た夫共々号泣しました。自分の親を重ねたからです。私たち在日が、一番言われて腹が立つ言葉が、「国へ帰れ」です。戦前の統治時代から日本に住んでいた在日が、何故解放後、韓国に帰らなかったのか?帰らなかったのではなく、各々の理由で帰れなかったのです。国に戻っても戦後のどさくさで家はなく、直後に起こった朝鮮戦争が拍車をかける。差別されて、地を這う思いをしても、腹を括って、この日本で生きていかねばならなかったのです。父は出征時は、日本兵でした。
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07月04日(水)
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