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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「バトル・オブ・ザ・セクシーズ 」

良かった!すんごいすんごい良かった!私はね。私はテニスは観るだけで、学校の授業でやったくらいで、それほどファンじゃありません。それでも学生の頃は、女子はナブラチロワとエバートが二代巨頭で、割と熱心に観ていた記憶が。もちろんこの作品のヒロイン、ビリー・ジーン・キングも功績と共に知っていますが、こんな史実が合ったとは。私の最近のキーワードは「不屈」「元気」「自由」なので、とても心境にマッチした作品です。監督はヴァレリー・ファリス&ジョナサン・レイトン。
1970年代のアメリカ。全米女子テニスの女王、ビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)。彼女は女子の優勝賞金が男子の1/8である事に反発。会長のクレイマー(ビル・プルマン)に訴えるも、すげなく却下された事に反発し、賛同者を募って女子だけの協会を設立。ビリーの友人で、優秀なアドバイザーのグラディス(サラ・シルバーマン)は、スポンサーを程なくゲット。女子だけの大会を開催し人気を博し始めた頃、元世界王者のボビー・リッグス(スティーブ・カレル)が、ビリーにエキジビジョンマッチを申し込みます。彼は男性至上主義者の55歳。イロモノ扱いされるのは御免と、一度は申し込みを断るビリーでしたが、ボビーは有力選手のコート夫人にも試合を挑み、勝利します。世間の目が、また男性にだけ傾くのに反発したビリーは、ボビーの挑戦に受けて立つ決意をします。
テーマは「誇り」だと思います。フェミニズムやウーマン・リブと言う言葉から、何を連想するか?男性と平等の権利を得て、自由な生き方を選択したいと言う願い、だと私は思っています。そこには、女性は男性より上だとか、男性のように生きたいとか、それは含まれていないはず。あくまで女性として、男性から敬意を払って欲しい、ただそれだけなのです。記者の不躾な質問に、ビリーは毅然と答えます。「私はただ敬意が欲しいだけなの」と。
男性至上主義のブタと自ら名乗るボビーですが、実はダメ亭主の自分を認識しおり、愛する大富豪の妻プリシラ(エリザベス・シュー)に認めて欲しくて、この対戦を企てます。そんな事は、妻はちっとも望んでいないのに。
男性至上主義のブタとは、テニス協会理事長のジャック(ビル・プルマン)やその取り巻きたちです。台所とベッドのみ、女性を愛しているのです。
決してビリーたちを認めない。
お話はビリー対ボビーや賃金格差のみならず、同性愛も絡んできます。ビリーは当時既婚。マネージャーの役割を果たす誠実な夫がいます。自分はノーマルだと思っていたビリーの前に現れた、自由奔放な美しき人マリリン(アンドレア・ライズブロー)。運命の恋に落ちる時は、あんなものなのでしょう。私が思うに、女性が相手なので、周囲や夫にはばれにくいと思ったのじゃないかな?これが男性相手なら、却って一線は飛び越え難かったと思います。
色んな要素を含んでの内容ですが、私が一番痛感したのは、男尊女卑の世の中を牛耳っているのは、一部の特権階級の男性だけではないのか?という事。ビリーもコート夫人も、経済的な大黒柱は彼女たちです。特にコート夫人は子供もおり、ツアーには夫が寄り添い子供の世話をする。この夫あればこそ、彼女はテニス史に名を残す名選手となり、女性としての幸せも手に出来たはず。ビリーもコート夫人も、絶対夫に感謝していたはずです。この「感謝」が、当時も今も、男性には欠けているのです。
奇想天外なアイディアで、道化のようなショーマンシップを発揮するボビーですが、彼も「男の沽券」の犠牲者です。ギャンブルが止められない自分を妻に賞賛して貰うには、「男」として世間から脚光を浴びることだと思っている。この幼稚な男の妻はしかし、「私は一緒にいて楽しいあなたが好きよ。でも私は「夫」が欲しいの」と涙ながらに語ります。すごーくすごーくわかるよ、プリシラ。でもあなたも、男の沽券に捕らわれている。
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07月16日(月)
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